平凡社 改訂新版 世界大百科事典 平凡の友



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平凡社 改訂新版 世界大百科事典

平凡社 改訂新版 世界大百科事典

かいてい・しんぱん・せかい・だい・ひゃっか・じてん
kaitei・shinpan・sekai・dai・hyakka・jiten

日本で唯一の総合大百科事典

改訂新版 世界大百科事典 全34巻
HEIBONSHA'S WORLD ENCYCLOPAEDIA

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平凡社 改訂新版 世界大百科事典


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※「平凡社 改訂新版 世界大百科事典」のセット購入には、「百科便覧 五訂版」が付きます。


―平凡社 改訂新版 世界大百科事典の内容詳細―


●巻数/全34巻(本巻30巻・索引1巻・地図帳2巻・百科便覧1巻)
●判型/A4変型判(201mm×280mm)、百科便覧は四六倍変型判(189mm×263mm)
●重量/約63Kg
●頁数/総頁数約2万5,000。各巻平均700頁
●総項目数/約9万
●索引項目数/約42万
●50音順配列
●図版/カラー約8,500点、モノクロ約1万点
●組体裁/30U平1(8.5ポイント相当)18字詰66行3段
●編集長/加藤周一
●執筆者/約7,000名
●ブックデザイン/杉浦康平

 

―今回の改訂内容―

平凡社改訂新版『世界大百科事典』は、1988年初版以来20年ぶりの大規模改訂版です。第一級の専門家による信頼できる知の宝庫です。
●平成の大合併を経て、大きく変わった日本の実情にあわせて、1万項目以上を改訂。
  世界の国、県・市町村項目をはじめ、省庁、主要な企業など記述は面目を一新しました。
  〈イラク戦争〉〈国連環境計画〉〈自由貿易協定〉〈金融持株会社〉などの新項目も追加。
●初版以降の変化を収録した補遺巻「アルマナック」の内容を見直して「本巻」と「便覧」に
  収録。本巻と便覧は あわせて300頁以上の増頁のうえ、読みやすくなりました。
●CTP(Computer to Plate)製版を採用し、文字と図版の見やすく美しい仕上がりを
  実現しました。
●百科事典の生命は〈索引〉。改訂要素をすべて盛り込んだ42万項目の「調べ学習」の
  手がかりです。

今こそ確かな「知識」をあなたのものにしませんか!

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平凡社の世界大百科事典は、日本で唯一の総合百科事典です!

百科づくり90年以上のキャリアが、史上最強の百科をつくりました。

1914年(大正3)以来、平凡社は数々の百科事典を世に送り出してきました。
九十余年の百科づくりの経験とノウハウ、そして情熱が、〈百科事典といえば平凡社〉という地位を確立し、他の追随を許しません。
この『世界大百科事典』は、平凡社の歴史のすべてが込められた百科事典。
質が違う。量が違う。自信をもって史上最強と銘打てる百科をお届けします。

 

―平凡社・百科事典の歴史―

1914年 や、此は便利だ
1931年 大百科事典(全28巻)
1936年 大百科事典(全29巻・新装版)
1947年 大百科事典(全29巻)
1951年 児童百科事典(全24巻)
       大百科事典(全16巻・縮刷版)
1954年 小百科事典
1955年 世界大百科事典(全32巻)
1957年 中学生百科事典(全11巻)
       ポケット百科事典
1958年 家庭の百科
1961年 国民百科事典(全7巻)
1963年 世界大百科事典補遺
       絵本百科(全5巻)
1964年 えほん百科(全12巻)
       世界大百科事典(全26巻)
1966年 国民百科事典(全8巻)
1968年 えほん百科(全6巻)
1969年 アポロ百科事典(全3巻)
1971年 国民百科事典(全9巻)
1972年 世界大百科事典(全35巻)
1973年 小百科事典
       こども世界百科(全8巻)
       世界大百科年鑑
1975年 世界大百科事典(全35巻・カスタム版)
1977年 国民百科事典(全17巻)
1981年 世界大百科事典(全36巻)
1988年 世界大百科事典(全35巻)誕生

2007年 世界大百科事典2007年改訂新版

 

―最高の執筆陣が結集、全項目を署名入りで責任執筆。―

阿部謹也 一橋大学教授(市、時間)
荒俣  宏 評論家(怪物、博物学、図版)
池内  紀 都立大学教授(笑い、世紀末)
石毛直道 国立民族学博物館教授(食事)
大岡  信 詩人・評論家(詩語)
亀井俊介 東京大学教授(ジェシー・ジェイムズ、カウボーイ)
川田順造 東京外国語大学教授(アフリカ、歴史)
坂本義和 東京大学教授(世界政治、軍事化)
澁澤龍彦 評論家(エロティシズム、サド、デカダン派)
杉浦民平 作家(デカメロン)
高階秀爾 東京大学教授(色〈美術における〉、フランス美術)
多田富雄 東京大学教授(免疫)
中沢新一 東京外国語大学AA研助手(石、道祖神)
西部  邁 東京大学教授(経済人)
野村万作 狂言和泉流(狂言)
日高敏隆 京都大学教授(生物、個体)
廣末  保 評論家(近松門左衛門)
村上陽一郎 東京大学教授(科学、物理学)
●編集顧問
伊藤正男 東京大学教授
今西錦司 京都大学名誉教授
宇沢弘文 東京大学教授
梅棹忠夫 国立民族学博物館館長
江上波夫 古代オリエント博物館館長
桑原武夫 京都大学名誉教授
小谷正雄 東京大学名誉教授
西郷信綱 国文学者
佐藤進一 歴史学者
島田虔次 京都大学名誉教授
中野好夫 評論家
林  達夫 評論家
藤田省三 法政大学教授
古島敏雄 東京大学名誉教授
増田四郎 一橋大学名誉教授
向坊  隆 東京大学名誉教授
吉田秀和 評論家
●編集長
加藤周一
(50音順 肩書きは執筆時)

※編集長 加藤周一さんが、2008年12月5日(金)の14時に逝去されました。

享年89歳。
心よりご冥福をお祈りするとともに、編集長をつとめていただいた《世界大百科事典》の序文を、ここに掲載いたします。

2008年12月6日「今日の平凡社・加藤周一さん逝去」より

《世界大百科事典》の編集方針について

[現代は情報が多すぎて、また少なすぎる時代である]
 一般の市民は、新聞・雑誌・書籍・電波メディアの伝える情報の、いわば洪水のなかでくらしている。限られた時間のなかで、どういう本を読むべきか、選択は必ずしも容易でない。しかも情報の量は、どの領域でも急速に増大し、新しい事実が知られ、新しい概念が導入され、新しい仮説が提案される。非専門家ばかりでなく、専門の研究者にとってさえも、追いついてゆくことがむずかしいだろう。
 このような情報量の増大とその広範な伝達が成り立つための条件の一つが、政府機関や大企業が経営する大きな組織の活動であることは、いうまでもない。したがって、市民が受け取る情報のなかには、政治的または商業的な目的のために操作されたものもある。
 受取り側は、どう反応することができるだろうか。もし右往左往して、しかも受身に操られることを望まないとすれば、多すぎる情報を整理しなければならないし、特にみずからの立場に従って整理しなければならないだろう。
 情報または知識の蓄積の、もう一つの条件は、専門化である。研究者や技術者は、いよいよ細分化された領域で、またその領域でのみ仕事をする。そこでは、同じ領域の専門家の間でしか通用しない特殊な術語の体系も発達する。彼らの話は、素人にはわかりにくい。またたとえわかっても、市民が個人的にも、社会的にも、知りたいと思う事物の全体ではなくて、一面を語るにすぎない。情報の洪水のなかで、ほんとうに知りたいことについては、利用することのできる情報が、あまりにも少ないということになる。
 そういう情報の不足に対応するためには、知りたい対象の全体を念頭におきながら、部分的な情報をまとめてゆくほかはない。また専門家に、情報の正確さを犠牲にしないままで、しかもわかりやすく話すくふうを求めるほかはないだろう。  百科事典が、このような現代社会の要請に応じるためには、従来の百科事典の改訂ではなくて、まったく新たに編集の方針そのものを考えなおす必要がある。この百科事典が、多すぎる情報を整理し、細分化された知識をまとめ、専門家の表現を非専門家にわかりやすくするために採用した方針は、次のようなものである。

[整理のために]
1――知識の体系については、中心的な概念の説明を重んじ、技術については、その原理を重んじた。たとえばコンピューターについて、論理回路の意味を懇切ていねいに解説し、その技術的な細部や応用範囲をできるだけ簡潔に述べる。これは幹と枝葉をはっきりと区別するということである。たとえ枝葉にめざましい変化があっても幹は変わらないから、この方針は、日進月歩の領域で、この事典の記述が古くならないということをも意味するだろう。
2――事典は執筆者または編集者の意見を発表するための機関ではない。しかし特定の立場をとらずに情報を整理することはできないだろう。この事典が基本的な立場としたのは、平和と民主主義と人権の擁護である。
3――また地域的には、日本を中心として、近きより遠きへ及ぼした。項目は、日本に近いほど多く、記述は、原則として、日本とのかかわりの深いほど詳細である。たとえば朝鮮半島の歴史・文化・社会にかかわる項目は、過去および現在の日本語によるあらゆる百科事典のそれよりも、はるかに多くを採る。また、たとえば西洋の人物や事件については、その日本とのかかわり(作品の翻訳、事件の影響など)をできるかぎり詳しく述べる。
4――整理とは分類であるが、この事典での分類は、必ずしも従来の慣習に従わず、しばしば叙述の効率を基準として、新しい分け方を用いた。たとえば、〈アメリカ合衆国〉という国名での記述を抑えて、地域や大都市の項目の記述を豊富にする。この方法は、またたとえばアフリカ大陸についても有効であろう。国境の意味は、人種的・文化的・言語学的・宗教的に、必ずしも決定的でない。

[まとめのために]
1――同じ地域の問題を扱うのに、専門領域を異にする委員会の学際的討議を重んじた。互いに関係のない専門的知識の並列ではなくて、その間の関係を求め、対象の全体が見失われないように努めたのである。
2――また地域に限らず、他の項目、特にたとえば動植物の名前などについても学際的な記述を重んじた。したがってこの事典は、動物学者の述べる〈鶴〉に満足せず、同時に民俗学者の語る日本の伝説のなかでの〈鶴〉を併記する。〈鶴〉に関する知識を、たとえば《夕鶴》の理解にも役だちうるようにまとめようとした。
3――事実と仮説とを区別したうえでそれを関連づけ、歴史と伝説とを峻別したうえでその関係を説明しようとした。伝説の重要さには特別の注意を払う。たとえば歴史的事実のほとんど何も知られていない小野小町や弁慶の伝説的人物としての役割を詳述する。

[わかりやすさのために]
1――科学技術上の概念を厳密に定義するためには術語を用いなければならない。しかしそういう定義に立ち入る前に、術語を知らない読者にも、近似的な理解、あるいは大づかみな要領の会得が可能になるような説明を与えることにした。今までの百科事典の、正確ではあっても難解な記述に閉口した経験のある読者は、この事典を見て、科学技術上の用語のおよその意味をたちどころに把握できることに、驚くだろう。
2――歴史的に、また地域的に、意味を異にする言葉がある。そういう言葉については、語義の変遷や地域差にも立ち入って説明することにした。その言葉を用いた本文の解釈を正確にするために役だつはずである。  編集の方針は以上のとおりである。それがどの程度に実現されているかは、事典を利用する方々の判断にまつほかはない。この事典は、専門領域以外の事物について、早く、正確な情報を得たいと思う日本国民のだれでも利用することのできる道具である。道具が役にたつだろうことを切に願う。

《世界大百科事典》編集長 加藤周一


すぐ引ける、よくわかる 平凡社ならではの最先端設計

史上最強の百科チェック

☆調べる習慣を身に付けましょう。索引にはさまざまな関連項目が載っています。
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平凡社『世界大百科事典』は、第一級の専門家が責任をもって執筆した現代日本最高の知の宝庫です。

平凡社『世界大百科事典』は、第一級の専門家が責任をもって
執筆した現代日本最高の知の宝庫です。

● 高い信頼性

日本を代表する各分野7,000名の執筆陣

加藤周一氏を編集長に、他では例を見ない7,000名もの執筆陣。知識をより深く掘り下げ、統合する編集力が違います。すべて署名入り原稿で、各分野の頭脳を執筆陣に迎えた大百科事典です。インターネットなどで情報が氾濫していますが信頼できるのはやはりこの百科事典です。

● 見やすい、わかりやすい

豊富な図版類やカラーページで理解度がアップ

豊富な図版類で理解度をアップさせます。また項目ごとに関連したカラーページが用意され、子どもも大人も見ているだけで楽しめます。最先端の印刷技術で一点一点、入念にチェックし、ホンモノと同じ色を再現しました。

● 引きやすい、親しみやすい

文字の大きさや説明文の構成へのこだわり

見やすさで評判の平凡社の百科事典。情報量をそこなわない範囲で最大限に文字の大きさを追求しました。専門分野の説明文も、たとえ話や具体例を引いて、情報のアウトラインをつかめるように編集した親切設計です。

● 確かな情報量

あらゆる場面で役立つ圧倒的な情報量

全34巻、9万項目、総索引項目42万、25,000ページ。重要項目にいたっては、優に単行本一冊分にあたるボリューム。あらゆる分野からバランスよく情報を網羅しました。子どもたちの調べ学習から、卒業論文、ビジネスまで広く活用できます。


■ 統計と資料で知る情報バンク、グレードアップした「百科便覧」

今回の改訂で最も充実させたのが、この「百科便覧」。世界や日本の最新の現勢を、統計編と資料編の2部構成で紹介。あらゆるジャンルの数値を網羅し、暮らしに即した情報から世界遺産などのグローバルな情報までを収録しました。


■ なんと42万もの索引項目 百科事典最大の「索引」巻

索引巻は、本文索引40万(和文30万、欧文10万)、カラー図版索引2万。索引項目数の多さは、引きやすさの目安です。さらに知りたい情報を索引で引くと、その巻数とページ数、ページのどの部分に記載されているのか、さらにその部分の出身項目までが一目でわかります。すぐに引きだせる配慮を随所にほどこしました。欧文索引には、英語・ドイツ語・フランス語・ロシア語・アラビア語などの諸語を記載しています。


■ 夢が広がる世界と日本の最新地図帳

☆美しさと精密度で地図制作の最高水準をいく本格的アトラス「世界地図」。

☆ワイド版の上、全ページ見開き。4万2,000地名を網羅したアトラス 「日本地図」。2007年10月1日現在の市町村合併状況を反映。


平凡社 改訂新版 世界大百科事典の内容詳細


●巻数/全34巻(本巻30巻・索引1巻・地図帳2巻・百科便覧1巻)
●判型/A4変型判(201mm×280mm)、百科便覧は四六倍変型判(189mm×263mm)
●重量/約63Kg
●頁数/総頁数約2万5,000。各巻平均700頁
●総項目数/約9万
●索引項目数/約42万
●50音順配列
●図版/カラー約8,500点、モノクロ約1万点
●組体裁/30U平1(8.5ポイント相当)18字詰66行3段
●編集長/加藤周一
●執筆者/約7,000名
●ブックデザイン/杉浦康平


オリジナル専用書架(別売)

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『改訂新版 世界大百科事典』について 佐藤 優
平凡社 2008年 「月刊 百科」No・543より

平凡社『世界大百科事典』に対して、私は特別の思いがある。私が中学校一年生のとき、一九七二年のことと記憶している。ある晩、午後一〇時半頃、学習塾から帰ってきた私がテラスハウス型団地二階の三畳間で机に向かっていると、父が帰ってきた。父はブ・ブーとモールス信号のAに相当するようにブザーを鳴らす。普段は、一階の居間でくつろいで、ビールを一杯飲むのだが、この日は、すぐに階段を上がって、私の部屋にやってきた。外の居酒屋で一杯飲んできたのか、少し酒臭い。「優君。百科事典を注文した。二〜三日後に着くから、自由に使いなさい」と言う。

私はそのときは特に嬉しいと思わなかった。私は、小学校六年生のときにアマチュア無線の国家試験に合格し、当時は、通信機の値段がもっとも安い短波の五〇メガヘルツ(六メーターバンド)の通信に熱中していた。五〇メガヘルツでは近距離通信しかできないので、地球の裏側とでも通信できる中波の無線機が欲しかったのだ。百科事典を買う金があるなら、中波無線機を買って欲しかったのだが、父は清水の舞台から飛び降りるようなつもりで、小遣いを削ってローンを組んで百科事典を買ったということなので、文句は言わなかった。

確か、その二日後に百科事典が届いたと記憶している。立派な本棚がついていた。階段の下にこの本棚を設置した。最初、無線工学関係の項目ばかりを漁って見ていたが、記述がなかなかわかりやすい。それから、当時、私はハンガリーのペンフレンドと文通を始めたばかりだったが、ハンガリーの歴史や詩人などについて、この百科事典を見ると詳しく出ている。私は百科事典の魅力にすっかり取り憑かれてしまい、結局、中学生時代、高校生時代に一回ずつ、『世界大百科事典』全三五巻を通読した。

高校時代、文芸部にいた友人から、サルトルの小説のどこかで、図書館で百科事典を第一巻から読んでいる「独学者」を揶揄しているところがあったという話を聞いて、私も「独学者」の類の変人かと一時期思ったこともあるが、それでも百科事典を読むのは楽しいので、通読を続けた。このときついた知識は、その後、外交官となり、そして刑事事件に巻き込まれたことを契機に文筆で糊口をしのぐようになってから役に立っているのだ。今でも、当時きちんと読んだ『世界大百科事典』の記述については、だいたい記憶に残っている。

父が私にこの百科事典を買ってくれた頃は、インターネット時代の到来を誰も予測していなかった。インターネットの「ウィキペディア」で、情報はただで手に入れることができるので、高価で、場所ふさぎの百科事典を買う必要などないという意見もときどき耳にするが、私の見解ではこれは少なくとも三つの理由で間違っている。

第一の理由は、「ウィキペディア」などの誰もが書き込むことができるインターネット百科事典は、編集権が不在であることだ。『世界大百科事典』の場合、老舗出版社である平凡社が社運をかけて、優れた編集チームを作って、当該分野の第一人者に執筆を依頼している。もし、間違えた記述や、不適切な解説があった場合、責任を負う者や法人がある表現物とそうでない表現物は、信憑性が根本的に異なる。

第二の理由は、人間は基本的にケチな動物なので、自分でカネを出した書物に書かれている内容は、タダの情報よりも身につくからだ。私のところにも多数の献本が来るが、ほんとうに読みたいと思う本については、献本は友人に寄贈し、別途、近所の本屋で同じ本を買う。その方が内容が記憶によく定着するのである。

第三の理由は、より哲学的なものだ。インターネットの情報は、書き込みによって肥大していく。常に更新されていくのは、最新情報を入手するという観点では確かに便利である。しかし、それでは、「百科事典(エンチクロペディー)」が本来果たそうとした機能が果たせないのである。

百科事典の目的は、単なる物知り辞書ではない。歴史をある時点で切断し、その時点での体系知の構造を提示するのが本来の目的なのだ。要するに、百科事典に収録されている内容は、その時点での、当該言語を使う文化圏での、独自の体系知を提示することである。一八世紀のディドロ、ダランベールらの『百科全書』、一九世紀にヘーゲルが心血を注いで作った『エンチクロペディー』もその時代の当該文化圏における体系知を提示するということで、まさに百科事典なのである。

ロシアの例を見てみよう。二〇世紀初頭に『エフロン・ブロックハウス』という本格的な百科事典が完結したが、これは帝政ロシアの体系知なので、ソビエト政権は再版を許さずにソビエト大百科事典第一版(一九二六〜四七年)を作った。この百科事典ではスターリンの意向に沿わない部分があるので、第二版(一九五〇〜六〇年)が刊行された。この百科事典の内容にブレジネフ政権の意向に合致しない部分があるため、更に三版(一九六九〜八一年)が刊行された。ソ連崩壊後のロシアになってから国家プロジェクトとして刊行された『ロシア大百科事典』(二〇〇四〜〇六年)は、現時点におけるロシアの体系知を示している。本来、百科事典編纂作業は国家プロジェクトとして行うべきであるが、平凡社の力量に日本国家が甘えているということなのであろう。実際、『世界大百科事典』の内容は、ロシアが国家プロジェクトで作成した百科事典に匹敵する。

『改訂新版 世界大百科事典』(二〇〇七年)を見れば、現段階における日本の体系知がどのような状況にあるかがよくわかる。例えば、日本では、インテリジェンス体制を整備する必要性が述べられているが、その基礎となる教養としてどのレベルが求められるかについての見解の一致がない。私は『世界大百科事典』に収録されている情報をインテリジェンスの基礎教養とすれば、CIA(米中央情報局)、SIS(英秘密情報部、いわゆるMI6)、モサド(イスラエル諜報特務局)、SVR(露対外諜報庁)に匹敵するインテリジェンス機関の創設が可能と思う。裏返して言うならば、この百科事典に出ていない情報は、知らなくてもインテリジェンスのプロとして恥ずかしくないということである。

旧版と較べ、改訂新版の内容が向上していることも間違いない。ヘーゲルが『法の哲学』で知恵のシンボルであるミネルバのふくろうは「夕闇を待って飛び立つ」と言ったが、百科事典の記述は、基本的に定説、通説を中心とするので保守的だ。編集者がよほどしっかりした問題意識をもっていないと、時代遅れの記述ばかりが並んでしまう。この点『改訂新版 世界大百科事典』編集部は細心の注意を払っている。例えば、冥王星に関する記述を見てみよう。重要な付記がなされている。

〈二〇〇六年八月、国際天文学連合(IAU)は総会で惑星の新しい定義案を採択し、これによって冥王星は惑星の地位を失うこととなった。/編集部〉

これで、天文関係のニュースに深い関心をもっていない人でも、冥王星がもはや太陽系の惑星には含まれていないというのが、専門家の「常識」であることを知ることができる。

また、アイヌに関する記述が全面的に改訂されている。先住民族の地位が国際的に強化されていることを踏まえ、知里真志保氏の「民族としてのアイヌはすでに滅びたといってよく、厳密にいうならば、彼らは、もはやアイヌではなく、せいぜいアイヌ系日本人とでも称すべきものである」という記述を抜本的に改めている。児島恭子氏執筆のアイヌに関する冒頭は次のようになっている。

〈日本の先住民族。アイヌとは、アイヌ語で神に対する人間・男を意味し、男性への敬称にもなる言葉である。一六世紀末に来日したポルトガル人宣教師の記録をはじめ、その後の日本人による文献にも、自らをアイノと呼び、居住地をアイノモショリ(アイヌモシリ)といっていたことが書かれているが、民族名称となったといえるのは近代以降のことである。〉

日本政府は未だにアイヌを先住民族と認めていないが、『改訂新版 世界大百科事典』に、現下の学術の進捗と、先住民族に関する国際社会の標準的認識が記されたことによって、この記述が常識として定着していくことになろう。日本政府が正しい方向に政策を変更するために重要な役割を果たすと思う。

繰り返すが、教養をつける上で百科事典を読むことには大きな効果がある。関心をもつ分野の項目についてコピーをとって、通勤、通学の途中で読むことを一年続ければ、飛躍的に知識の量が増える。それから、百科事典の項目は明晰に書かれているので、和文外国語訳の教材としても適当だ。任意の項目を日本語から英語、ドイツ語、ロシア語に訳す練習をすると語学力が飛躍的に向上する。

ところで、私が中学一年生のときに父が買ってくれた『世界大百科事典』は現在ブラジルにある。二〇〇〇年一一月に私の父は他界した。ブラジルに嫁いでいる私の妹と遺品の整理をしていたが、妹が「団地で生活していた頃の日本の生活を思い出すためにこの百科事典をもっていきたい」と言ったからだ。父と母、私と妹、そして、現在は二重国籍だが、将来はブラジル人になる妹の子供たちへとこの百科事典は三代にわたって読み継がれていくのであろう。

(さとう まさる・起訴休職外務事務官、作家)

※本稿は平凡社「月刊 百科」2008年1月号に掲載されたものです。
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お客様の声
平凡社の百科事典は今から20年近く前に買い求め家内が子供の教育をするのに大変重宝していました。子供たちはとっくに独立し、辞典の内容も古くなったので3年前に廃棄処分しましたが、家内がまた新しいものが欲しくなったと言うので、今回買い求めた次第です。以前のものに比べて随分充実した内容になっていますね。装丁も立派になりました。活用させていただきます。
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「本を選ぶときのポイント〜出版社を知り、出版社で選ぶ〜」第4 回 2009 年7 月28日


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最後の〈紙〉の百科『世界大百科事典』

平凡社執行役員  関口秀紀

はじめまして、平凡社の関口です。
最初に、私は編集者ですので、大体いつも原稿や本を読んでいるとか、人と会うのでも著者やデザイナーの方とか同僚の編集者ですとか、個々別々にお会いしてお話することはあるのですが、このように一遍に皆さんから注目されてお話をする経験はほとんどありません。きょうは非常にあがっています。話があっちにいったりこっちにいったりするかもしれませんが、ご容赦願いたいと思います。
千代田図書館の河合さんからお話を伺いながら、平凡社としてどんな話ができるかなと考えました。現在、平凡社では新書も文庫の類もあって様々な本を出していますけれど、1914 年の創業以来、やはり百科事典といえば平凡社といわれますように、「百科」は社の中心をなす出版物でありました。その百科事典がどのような考え方で、あるいはどのような歴史があって、そしてどうやって作られてきたかということをお話できるのではないかと思いました。たまたま私は、その百科事典の編集部にほぼ最初の時点で配属されて、ここにある『世界大百科事典』が完成するまで編集部におりました。ただし、すでにウン十年前の話になりますので、忘れてしまっていることも多々ありますし、点であっても線にならないかもしれません。とはいえ、どんな状況でこの事典を作ってきたかということは、ある程度はお話できるかと思います。それでは自己紹介から始めさせていただきます。

関口秀紀:自己紹介
1977 年に平凡社入社ですから、以来、32 年平凡社で勤務をしております。私が入社したとき、平凡社の社屋は、千代田区四番町にありました。数年経って同じ千代田区の三番町に変わり、1990 年代に目黒区の碑文谷に引っ越し、21 世紀になった2001 年に現在の文京区の白山に移りました。私は転勤もないのに社屋自体は4 回も移ったわけですね(笑)百科事典ということでいえば、入社したときはすでに、この『世界大百科事典』の準備が進んでいるところでした。私が最初に配属されたのは年鑑の編集部です。年鑑というのはどういうものかといいますと、一度百科事典が出れば、それ以降は紙という制約がありますので、なかなか改訂ができません。そこでそれ以降の出来事を1 年で区切って、年鑑(イヤーブック)という形で補遺をしていくわけです。新聞社などでも昔、『朝日年鑑』とか『読売年鑑』とかありましたよね。当時、平凡社では『百科年鑑』というのを出していて、そこの編集部に配属されたのです。
1977 年の春、1 カ月ほどの研修のあと、連休明けに配属先にいくと、みんなほとんど何もしていないんですよ。何でこの人たちは仕事をしないんだろうと、青雲の志に燃えていた私はとても腹が立ったわけです。後で聞くと、要するに年鑑というのは1 年の1 月〜 12 月までのことをまとめるわけで、したがって12月が終わらないと本格的な編集が始まらないんですね。ですから年が明けてから3 月に本が出るまでの間はものすごく忙しい。結局、私が配属されたときは、私の先輩たちは3 月に本を出し終えて、皆ボーっとしていたときだったんですね、ほとんど酒を飲んでいました。そんなことがありまして、私は非常に悪い癖をつけられて、仕事をしないで酒だけ飲むというのが、身についてしまいました(笑)以降30 年、そういう形で編集者をやっております。
入社したての最初のころについては、いろいろ記憶があります。1977 年〜 79 年ぐらいまで年鑑の編集部にいたときは、例えばキャンディーズの解散(78 年)があったのを記憶しています。それを記事にしたわけですが、じつはあの真ん中にいた伊藤蘭さん、“ ランちゃん” ですね、彼女は私と同学年なんですよ。あのときは感慨がありました。 自分はこれからいくつになるまで仕事をするのかわかりませんが、この人はもう引退しちゃうんだなと思いましてね。
そんな当時のいろんな記憶が蘇ってきます。先ほども申しましたように夏から秋ぐらいまで年鑑の編集部というのは基本的に何もすることがありません。データを集めたりはしていますが、それぞれの執筆者に原稿を依頼するのは秋以降ですから。そうすると他の先輩が、 “ 裏作” といっていましたけれど、要するに本来の年鑑を作るほかに単行本の編集をやるわけです。そのとき編集したのがイギリスのテームズ・アンド・ハドソンという出版社から出ていた「アート・アンド・イマジネーション」(邦題は「イメージの博物誌」)というシリーズです。今でいう精神世界・オカルティズムの本ですが、例えば『魔術』ですと澁澤龍彦さんが訳者であったり、『錬金術』は種村季弘さんが、『占星術』は私が担当したけれども矢島文夫さんが訳者であったりというような、錚々たるメンバーでやっていたシリーズでした。百科事典の年鑑の編集部という、ちょっと変則的な編集部に所属したお陰で、そういう貴重な経験ができたというのが、私の大きな出発点であったと思っています。
そのときのエピソードを1 つご紹介いたします。あるとき、おもしろい方から連絡があったのです。その人は寺山修司です。彼は「イメージの博物誌」がイギリスで出版されているときに現地で本を見て知っていたんですね。それで平凡社からそういうシリーズの翻訳が出始めたことを知って、自分で寺山版のイメージの博物誌を作りたいと連絡をしてきたわけです。それで、その当時の寺山修司の視覚的な集大成を作ろうと、演劇はもちろんですが、映画、写真も彼は撮っていましたので、そういったものを集めた『寺山修司の仮面画報』を出版しました。これは、私が入社して2 年目のことで、私自身にとっても非常にいい経験になった本でした。寺山さんが亡くなって二十数年経ちますが、この本は今でも版を重ねています。ある時期、新装版にしましたが、1979 年が初刷ですので、今年で30 年目を迎えます。
ご興味のある方はぜひ注文してください。それと、寺山修司さんに関わるもう1 つのエピソードをご紹介しましょう。
寺山さんに初めてお会いしたときのことでした。あるレストランにご案内したのですが、そこの椅子はたぶんデザイン優先の椅子で形がちょっと変わっていたんでしょうね。寺山さんが最初に発した言葉が「あぁ、これは座ることを拒否する椅子ですね」でした。そのときに、後で申し上げますが、私は学生のときに芝居をやっていたりしたものですから、あぁ、寺山修司が本当にここに居るんだと、そのとき23 歳の自分が非常に感動したのを今でも覚えています。
さて、1979 年、いよいよ百科事典の編集部に配属されました。百科事典の編集部というのは、学問の分野に準じて、編集部もさまざまな分野ごとにつくられています。まずは、大きく、文科系と理科系の編集部に分かれます。大体出身の大学の専攻に準じて担当も決めることが多かったと思います。細かい分野はそれぞれがいくつか重複して担当しました。私は出身が経済学部でしたけれど配属されたのは、いわゆる「衣・食・住、そして遊び、スポーツ」いった分野の編集部でした。社内ではこれを「生活文化」系と称していました。文科系はもう少し大きくいうと、政治や経済の社会科学系と、歴史、芸術などの人文科学系、そして今申し上げた生活文化系というふうに大きく3 つの編集部に分かれていました。ただし、私は、なぜか演劇の分野も担当しました。それは私が学生のときに芝居をやっていましたとポロッと漏らしてしまったからのようです。それからスポーツとか遊びも担当しました。これもポロッと、自分は小学校のときからスポーツの記録をつけるのが好きで、陸上とか水泳の記録を自分なりにずっとつけていたんです、って会社で言いましたら、「じゃあ、おまえ、スポーツをやれ」ということになったのです。それとなぜだか仏教の分野も担当しました。これは人文科学系ですよね。実は私は学生のときに経済を勉強するのが嫌で嫌で、芝居をやったり、古いお寺へ行って仏像を見るなんてことをしていたんです。当時、大学で古寺仏研究会というサークルに入っていました。そこに同級生で学部は違いましたが、今活躍をしている作家で井沢元彦という男がいました。今でも『週刊ポスト』で「逆説の日本史」を書いていますが。実は、あのもとになっているのは、学生のときの古寺仏研究会なんですよ。私も一緒に寺巡りをしていたんですけれどもね。そんなことを、これまた会社で話しましたら、「じゃあ、おまえ、仏教を担当せよ」ということになってしまいました。途中でまた、教育、マスコミと担当も替わっていきましたが、複数の担当を持って、それぞれの著者に会いにいきました。
さて、百科事典では著者の方でも、それぞれの分野で項目選定委員、編集委員を組織していました。百科事典の第1 巻目の冒頭のところには、どなたにどういう分野で項目選定委員になっていただいたかという一覧表が出ています。
トータルで500 人ぐらいの方に編集委員、あるいは項目選定委員をお願いしていたと思います。そういう方たちと、最初は項目を確定していく、さらに一つひとつの項目について、どういう内容で、どのくらいの分量で書いていただくかを決めていく。それからその項目をどういう執筆者に書いてもらうかを確定していくという段階を踏んで、執筆の具体的な依頼に入っていくわけです。そういうことを繰り返し、繰り返し、1980年代の前半は過ごしていました。
そうして『大百科事典』という黄色い表紙の全16 巻の百科事典を1985 年に刊行いたしました。もしかしたら皆さんの中にもご自宅にお持ちの方がいらっしゃるかもしれませんね。今から25 年近く前になります。その百科事典を改訂して、1988 年に『世界大百科事典』を出しました。二つの大きな違いは、『大百科事典』のほうは全ページモノクロだったのに対し、『世界大百科事典』はカラー図版を入れたことです。これは当時、百科事典の競争がありまして、小学館さんの『ジャポニカ』という百科事典が、同じぐらいの規模で同時期に刊行されたということがありました。
他社と百科をめぐって競争になった。お恥ずかしい話なのですが、私どもは図版をカラーで入れていくというところまで至らなかったというのが現状でした。しかし、その3 年後にそういったことをすべて仕上げまして、1988 年、ほぼ20 年前に現在刊行されている『世界大百科事典』という商品を出すことができました。
ということで私は最初のほぼ10 年、1977 年に入社して88 年にこの百科事典が出ましたので、大体10 年ぐらいを、百科事典を中心にした編集生活で過ごしたことになります。 さて、百科事典が終わると何十人も関わっていた編集者の手が空きます。ですので、一部の編集者は新しく書籍を作っていく部署に、他の編集者は百科事典以外の事典を作る部署に配属されました。私自身も『能・狂言事典』という事典を手がけました。名前のとおり能と狂言についての、総合的な事典です。それから、先ほど仏教ということを申し上げましたけれども、『世界宗教大事典』という単行事典も担当しました。あとは、例えば『アメリカを知る事典』、『東南アジアを知る事典』といった、我々は「○○を知る事典」と言っていますが、○○に地域名、国名が入った、いわゆるエリア事典を何冊か作る作業に関わりました。
その後、私自身でいえば、1993 年に創刊された「平凡社ライブラリー」という、文庫と新書の間ぐらいの本ですが、その編集長を2 回やりました。1980 年代後半から1990 年代は、百科事典から離れて書籍を中心にした編集者として暮らしてきましたけれど、1998 年(平成10 年)に編集部長を拝命して、百科事典を含む事典の類を、再び担当するということになりました。去年、2008 年になりますが、平凡社事典制作センターという、百科事典の改訂作業を中心にする会社をつくりまして、そこにも現在関わっておりますので、また、百科事典に返り咲いて、しかも本日のような百科事典についてのお話をさせていただいているということになります。さて、次に平凡社とはどんな会社なのか?という話に入らせていただきます。

平凡社とは、どんな出版社?
平凡社は1914 年(大正3 年)に創業されました。創業者は下中彌三郎で、教育者でもあった人です。その理想は「万人労働の教育」です。人はすべて働きながら学び、学びながら働かなければならない。そのために百科事典も必要であろうということなのです。最初に出したのが『や、此は便利だ』という本で、これはタイトルのとおり、いろいろな新聞の言葉の解説とか、読みづらい漢字の読み方とか、今だったらテレビのクイズ番組のネタ本になるかもしれないような、そういったものを分かりやすく解いている事典で、これが大正3 年に出てベストセラーになったんですね。、わずか2 年ちょっとで大増補して24版になっていますから、当時としては破格に売れたのではないかと思います。
この成功によって平凡社は出発しました。事典を作ることで出発した会社でした。ただし、戦前は、昭和になってすぐですが、「現代大衆文学全集」というような、いわゆる文学ものも出しています。これは “ 円本” といわれ、1 円で本が買えるというものでした。改造社などもだいぶ作っていたと思いますが、その頃を出版史では円本時代といっています。実は戦前はこういった本もたくさん出していました。「怪奇○○全集」とか、「江戸川乱歩全集」とか、現在の平凡社のイメージと少し違うかなというようなものも出していました。
そして1931 年に東大の心理学者の木村久一という人を編集長に据えて、『大百科事典』が刊行になります。完結は1935 年です。この『大百科事典』は、戦前の日本文化の1 つの到達点といわれているようですが、それが平凡社の大きな方向を指し示したものであったのです。この『大百科事典』の「事典」に注目してください。事典の「事」の字を見ていただければわかるように、我々はこれを「ことてん」と言っています。日本では、今では基本的にエンサイクロペディア的な事典には「事典」を使うわけです。一方、ディクショナリーの「辞典」のほうは、我々は「ことばてん」と言いまして、「辞」を使います。
今でも出版社によっては両方使っているところもあります。ただし、いわゆる百科事典にはほとんど「事典」が使われるようになって、それが定着したのがこの『大百科事典』のときでした。
戦後は、『大百科事典』を基にしてさまざまな事典の類を出版していきます。『社会科事典』、『家庭科事典』とか。また瀬田貞二編集長の下での『児童百科事典』はその当時、斬新な児童百科であるというお墨付きをいただきました。
そんな、事典を中心とした出版社になっていったのです。
さて、創業40 周年というところで、ちょうど私が生まれたころですが、『世界大百科事典』が構想されました。
1955 年ぐらいから具体的に編集が始まって、59 年に完結しております。これは林達夫氏が編集長をしたもので、内部的には「林百科」と呼んでいます。それに対して今の『世界大百科事典』は加藤周一氏が編集長のものです。惜しくも昨年お亡くなりになりましたけれども、加藤周一編集長の下で、私自身も編集部の一員として働きました。こちらは「加藤百科」と言っております。1950 年代に『世界大百科事典』として出た「林百科」は、「世界史的な視野に立って、先進国のみならず後進諸国の諸文化をも軽視せずに取り上げる。特にアジアに関しては欧米の事典の追随を許さない内容を盛り込んだもの」であるとうたわれたように、アジアを見据えた日本の百科事典、むしろ、欧米中心というよりも日本やアジアに目を向けた百科事典ということが大きな特色です。この百科は20 世紀前半の文化の到達点であったといわれ、日本でその後作られる百科事典の基本的な方向は、この『世界大百科事典』(「林百科」)が作ったと、とりあえずいわれていると思います。
それから1960 年代には、それよりも少し規模の小さい『国民百科事典』というようなものも作ったりしています。
この頃は、百科事典だけでなく、ご記憶の方も多いと思いますけれども、1963 年には日本で初めての本格的なグラフィックの月刊誌であった『太陽』を創刊しました。同じ63 年に「東洋文庫」も創刊しています。日本をはじめとして中国等アジア、中東の古典を中心としたものを入れていこうというのが「東洋文庫」です。ですから、一方で雑誌としての『太陽』、そして一方で古典的なものを入れる文庫としての「東洋文庫」が走り始めました。残念ながら、月刊誌としての『太陽』は今休刊になっていますが、「東洋文庫」のほうは現在七百八十数巻、800 巻に近いところまできております。あまり目立たないかもしれませんが、ひっそりと毎月1 冊刊行しています。40 年以上かけてそこまで到達したということです。
そして、ちょうど40 年前の1969 年に、これはいわゆる「小百科」といわれているものですが、『アポロ百科事典』が出ています。当時、アメリカのアポロ計画があったと思いますが、時代を反映して“ アポロ” という名前を付けたんですね。
1972 年には『別冊太陽』を創刊。これは今でも毎月出ていますが、月刊太陽とは別に創刊しました。いわゆるムックというものの先駆けになったものです。
その後、事典以外でもさまざまなシリーズを出しています。『中国石窟』は中国の出版社と提携して出したものです。
あるいは荒俣宏氏に中心になってもらった『世界大博物図鑑』であるとか、『動物大百科事典』、あるいは各県の歴史地名を県ごとに出していった『日本歴史地名体系』など。この『日本歴史地名体系』のシリーズは1970 年代の初頭に刊行が始まり、私が入社した77 年にはすでに編集が佳境に入っていましたが、全48 巻が完結したのは、なんと2004 年、ついこの間です。三十数年編集に時をかけて完成にこぎつけました。百科事典を作っていると気が長くなるんですが、そうした歴史をもつシリーズが百科以外にもあるのです。 そして、先ほどご説明したように、1988 年に現在の『世界大百科事典』が完結します。1
990 年代に入りますと、1993 年には「平凡社ライブラリー」が創刊されて、いよいよ平凡社も軽い方向のものも出すようになります。これは出版界の大きな流れでもあると思いますけれども、当時、岩波書店で「同時代ライブラリー」を出していて、小学館、NHK からも「小学館ライブラリー」、「NHK ライブラリー」が出ており、「平凡社ライブラリー」もそこに合わせて創刊したのです。今は岩波さんや小学館さんはやめてしまい、平凡社のみが作り続けています。このシリーズには本の背に聖堂の薔薇窓を模したシンボルマークが付いているので、そこが目印になるかと思います。今後、それが「平凡社ライブラリー」だということをご記憶いただければ幸いです。
それから漢字の神様といわれる白川静先生の『字統』、『字訓』、『字通』の「字書3 部作」が出たのも1990 年代です。
一方で、アラーキーこと荒木経惟さんの『荒木経惟写真全集』全20 巻も出しています。荒木さんは、「太陽賞」の第1 回の受賞者です。「太陽賞」は残念ながら今はないのですが、写真界の芥川賞、直木賞ともいわた写真界の登竜門の賞で、平凡社が設定したものでした。荒木さんはいつも自分を語るときに「おれは第1回の太陽賞受賞者だ」というふうにおっしゃっていただいていますけど。
1999 年に「平凡社新書」が創刊になります。当時は、岩波新書、中公新書、講談社の現代新書という老舗のほかに、他の出版社からもどんどん新書が出ている時期だったと思いますが、そういう中で、平凡社でもやはり新書という形のペーパーバックを出していく必要があるだろうということで出し始めました。1999年の創刊ですので、2009 年の今年で10 周年になりました。10 周年を画期として新装版にしていこうということで、以前は赤と白のカバーを付けていたんですが、5 月から空色と白のカバーに変わっています。合言葉は「知の〈十字路〉から〈広場〉へ」です。
そうした形で平凡社でもだんだんペーパーバックをたくさん出すようになってきましたが、もちろん単行本の出版も盛んで、歴史関係、芸術関係などを中心にしてさまざまなものを出ています。
そして、2 年前の2007 年には現在販売している改訂新版『世界大百科事典』を出しました。いわゆる紙の重々しい総合的百科事典というのは現時点では、日本では平凡社1 社だけが刊行を続けているのです。以上、駆け足で、平凡社がどういう出版社で、百科事典がどういうものか、そして平凡社の様々な出版物についてご説明してきました。

百科事典とは?
さて、百科事典とはどんなものかお話しましょう。『世界大百科事典』の中に「百科事典」という項目がありますので、それを読みますと、「人類の所有する諸知識を、特定の配列方法(我々の場合は50音順)によって収録し、読者の全般的もしくは特殊な使用に供することを目的とした著作物」とあります。元々のencyclop(a)ediaという言葉は、ギリシア語のenkyklios という「円環をなす」という意味の言葉と、paideiaという「教育・訓練」という意味の言葉が合成されたもので、〈知識の環〉とか〈体系的教育〉というような意味になります。
西洋でいえば『博物誌』(大プリニウス、79 年)に始まって、ずっと歴史があるわけです。近代的な百科事典の基というのはディドロとダランベールたちの『百科全書』(1751 〜 66 年)で、これはフランスの百科全書派が作った百科事典です。執筆者が二百六十数名いたようですが、いわゆる明確な編集方針の下に、分類もある一定の学問的な分類に従って作り上げられた百科事典ということで、この『百科全書』のあたりが近代的な百科事典の基になったといわれています。その後、日本でもお馴染みの『ブリタニカ百科事典』(1768 〜 71年)が当初イギリスで、その後アメリカに資本が移りましたが、18 世紀に始まります。そしてドイツでいうと『ブロックハウス百科事典』(1796 〜 1808 年)、『マイヤー百科事典』(1840 〜 52 年)といった百科事典が出ています。フランスでは『19 世紀ラルース大百科事典』(1866〜 76 年)というようなものも19 世紀に入ると出されるようになって、現代に続いていくということになるかと思います。
中国を見ますと、『爾雅』というのは孔子の作ともいわれているようですが、紀元前5 世紀に作られた最古の字書といわれています。中国では、百科事典に当たるものは「類書」といわれています。類書というのがずっと中国の伝統にあって、そういったものが脈々と受け継がれています。ある執筆者がいて、ある項目を執筆するというのがいわゆる西洋型の百科事典であるのに対して、類書というのは元の本があるわけです。だから、「何々によれば、何々である」というものを、ある分類に従ってもってくるわけです。執筆者が責任をもってそれを書いたというのではなくて、この本によればこうなっている、というのが類書ということになります。これが中国のいわゆる百科事典の伝統であって、『淮南子』(劉安、2 世紀)とか、『芸文類聚』(624 年)、『太平御覧』(977 年)などに脈々とそうした伝統が続いていくことになります。もう1つ、『太平御覧』というタイトルにあるように、類書の類がなぜ作成されたかというと、中国においては基本的には時の皇帝にお見せするという役割を中心にして作られたものであったからのようです。
ここに『和漢三才図会』を持ってきましたが、明の時代に王圻という人が『三才図会』(1607 年)というのを作って、これが中国でいうと、近代の百科事典に近くなっていくところの境目であったようです。近代になってから中国でも、いわゆる西洋的な百科事典の編集が当然考えられるようになります。それは、例えば1959年の時点で計画されたのですが、そのときは刊行されませんでした。その後『中国大百科全書』という名前の、近代的な百科事典が1980 年に刊行が開始されているようですので、日本よりも相当時代が新しい。類書の伝統は古いけれども、今でいう百科事典というのは非常に新しいということであるようです。
日本も当然、中国の影響の下にありますので、『秘府略』(滋野貞主、9 世紀)というものが日本の百科事典的なものの最初だといわれているようですが、その前にも中国の類書は輸入されていました。日本人が書いたものとしては、菅原道真の『類聚国史』(892 年)とか、源順の『和名類聚抄』(10 世紀)といったものが百科事典の基になります。江戸時代になると近代に近づいてくるということで、日本最初の絵入り百科事典として『訓蒙図彙』(中村てきさい)というのが17 世紀にできたり、近世の百科事典の代表だといわれている『和漢三才図会』(寺島良安、1713 年)ができてきて、いよいよ日本も近代に突入していきます。ちなみに『和漢三才図会』は東洋文庫の中に18 冊分で収められています。
近代にも、これもご存知の方はたくさんいると思いますが、『古事類苑』(西村茂樹)というのが明治時代になって作られています。これは1879 年に計画されて1913 年までかかっていますが、昔の類書の伝統に則った百科事典です。
したがって、日本でも近代に至るまで類書の伝統があったということです。
欧米式の最初の事典は、明治の最初に政府の要請によってE・チェンバーズの『百科事典』を翻訳していた時代があったようですが、日本の百科事典としては同文館の『大日本百科辞書』というのが最初だといわれています。1901 年に発表されています。ところが、やはり百科事典というのは出すのが大変だということになると思いますが、同文館は1912 年に倒産してしまい、これは最終的なところまで至りませんでした。同じように三省堂でも『日本百科大辞典』というのが1902 年に開始されて、大隈重信が総裁になって大々的に始まったようですが、これももたずに1912 年に倒産してしまったということです。百科事典を作るというのは、その当時からなかなか大変な事業であったということがお分かりいただけると思います。そして、先ほどの「平凡社とは?」の中での説明につながるのです。平凡社で『大百科事典』(1931 〜 35 年)が戦前に出て、戦後に林達夫編集長の『世界大百科事典』(1955 〜 59 年)が出て、続いて加藤周一編集長の下の、最終的には『改訂新版・世界大百科事典』(1988 年)という名前で出ているというのが現時点の状況です。

『世界大百科事典』はどのように作られたのか?
『世界大百科事典』はどのような方針でできているか。これが私は一番重要なことだと思います。百科事典というのはさまざまにありますけれども、このことを私はきょう皆さまにお話したかったのです。加藤編集長の『世界大百科事典』の編集方針は次のようなものです。読み上げていきます。

〈世界大百科事典〉の編集方針について。
[現代は情報が多すぎて、また少なすぎる時代である]
一般の市民は、新聞・雑誌・書籍・電波メディアの伝える情報の、いわば洪水のなかで暮らしている。限られた時間のなかで、どういう本を読むべきか、選択は必ずしも容易でない。しかも情報の量は、どの領域でも急速に増大し、新しい事実が知られ、新しい概念が導入され、新しい仮説が提案される。非専門家ばかりでなく、専門の研究者にとってさえも、追いついてゆくことがむずかしいだろう。
このような情報量の増大とその広範な伝達が成り立つための条件の一つが、政府機関や大企業が経営する大きな組織の活動であることは、いうまでもない。したがって、市民が受け取る情報のなかには、政治的または商業的な目的のために操作されたものもある。
受取り側は、どう反応することができるだろうか。もし右往左往して、しかも受身に操られることを望まないとすれば、多すぎる情報を整理しなければならないし、特にみずからの立場に従って整理しなければならないだろう。
情報または知識の蓄積の、もう一つの条件は、専門化である。研究者や技術者は、いよいよ細分化された領域で、またその領域でのみ仕事をする。そこでは、同じ領域の専門家の間でしか通用しない特殊な術語の体系も発達する。彼らの話は、素人にはわかりにくい。またたとえわかっても、市民が個人的にも、社会的にも、知りたいと思う事物の全体ではなくて、一面を語るにすぎない。情報の洪水のなかで、ほんとうに知りたいことについては、利用することのできる情報が、あまりにも少ないということになる。
そういう情報の不足に対応するためには、知りたい対象の全体を念頭におきながら、部分的な情報をまとめてゆくほかはない。また専門家に、情報の正確さを犠牲にしないままで、しかもわかりやすく話すくふうを求めるほかはないだろう。
百科事典が、このような現代社会の要請に応じるためには、従来の百科事典の改訂ではなくて、まったく新たに編集の方針そのものを考えなおす必要がある。(この事典は、そういうまったく新しい編集方針でできています。…関口説明、以下()内も同様)この百科事典が、多すぎる情報を整理し、細分化された知識をまとめ、専門家の表現を非専門家にわかりやすくするために採用した方針は、次のようなものである。

[整理のために]
1 ――知識の体系については、中心的な概念の説明を重んじ、技術についてはその原理を重んじた。たとえばコンピューターについて、論理回路の意味を懇切ていねいに解説し、その技術的な細部や応用範囲をできるだけ簡潔に述べる。
これは幹と枝葉とをはっきり区別するということである。たとえ枝葉にめざましい変化があっても幹は変わらないから、この方針は、日進月歩の領域で、この事典の記述が古くならないということをも意味するだろう。
2 ――事典は執筆者または編集者の意見を発表するための機関ではない。しかし特定の立場をとらずに情報を整理することはできないだろう。(つまり編集方針の要に何をおくかということで、これが重要ですが)この事典が基本的な立場としたのは、平和と民主主義と人権の擁護である。(これがこの『世界大百科事典』の大基本方針です。)
3 ――また地域的には、日本を中心として、(これは「林百科」でもそういわれていたと思いますが)近きより遠きへ及ぼした。項目は、日本に近いほど多く、記述は、原則として、日本とのかかわりの深いほど詳細である。たとえば朝鮮半島の歴史・文化・社会にかかわる項目は、過去および現在の日本語によるあらゆる百科事典のそれよりも、はるかに多くを採る。(つまり日本に近いところは非常に厚く項目が採られているということです。)また、たとえば西洋の人物や事件については、その日本とのかかわり( 作品の翻訳、事件の影響など)をできるかぎり詳しく述べる。(つまり日本とのかかわりがどうであったかをできるかぎり詳しく書いてもらうことをモットーとしています。)
4 ――整理とは分類であるが、この事典での分類は、必ずしも従来の慣習に従わず、しばしば叙述の効率を基準として、新しい分け方を用いた。たとえば、〈アメリカ合衆国〉という国名での記述を抑えて、(というのは、昔であればアメリカ合衆国というのが新書1 冊分ぐらい長くあったわけですが、そうではなくて)地域や大都市の項目の記述を豊富にする。(国別で記述されるという重要性はあるわけですが、国別だけでは収まりきれない記述というものが出てきます。)この方法は、またたとえばアフリカ大陸についても有効であろう。国境の意味は、人種的・文化的・言語学的・宗教的に、必ずしも決定的ではない。(今でもアフリカには、昔の宗主国が分けた国境があるわけで、国名別だけで記述をすることはなかなかできないということがありますので、そのことを念頭において整理と分類をしていったということです。次の[まとめのために]が重要です。)

[まとめのために]
1 ――同じ地域の問題を扱うのに、専門領域を異にする委員会の学際的討議を重んじた。互いに関係のない専門的知識の並列ではなくて、その間の関係を求め、対象の全体が見失われないように努めたのである。(これはどういうことかというと、今までの百科事典というのは、当然、学問体系の縦の分類で我々の編集部も区切るんですね。政治、経済、法律、そして歴史。その歴史も西洋史、東洋史、日本史。日本史も古代史、中世史、近世史というふうに区切っていきます。そのことはひとつ重要なことではありますが、それだけで区切ったものが従来の百科事典の記述、あるいは項目の分類にも反映されていました。
でも、その分類と分類の狭間にも百科事典はさまざまな項目があるはずなんです。
そういう項目が落ちていくわけです。むしろ、その領域と領域の間にあるような項目が実は重要であったりするわけです。そのことを踏まえて、同じアメリカでも、アメリカの文学史の方、アメリカの政治の方、アメリカの経済の方というように、何人か専門的に領域の違う人たちに集まってもらって、どういう項目を採るべきかを話し合ってもらいました。これを我々は内部で「エリアシステム」と言っていました。そのことをまとめのところで加藤編集長は話しているわけです。)
2――また地域に限らず、他の項目、特にたとえば動植物の名前などについても学際的な記述を重んじた。したがってこの事典は、動物学者の述べる<鶴>に満足せず、同時に民俗学者の語る日本の伝説のなかでの<鶴>を併記する。<鶴>の知識を、たとえば《夕鶴》の理解にも役立ちうるようにまとめようとした。(動植物の項目というのは、人名の項目とか地名の項目と並んで百科事典の基本的な項目になりますが、従来は、例えば「ツル 鶴 crane」が動物学的にどういう動物なのかという説明があって、大体それで終わるわけです。そうではなくて、今回の百科事典は、そこに例えば民俗的な記述、民俗学の中でツルというのがどういう役割を果たしてきたのか、ツルが人間にとってどういう役割をし、どう考えられてきて、どのように表現されてきたのか、ということまでもが、「ツル」という項目で分かるようになっているということを、ここで言っているわけです。)
3 ――事実と仮説とを区別したうえでそれを関連づけ、歴史と伝説とを峻別したうえでその関係を説明しようとした。
伝説の重要さには特別の注意を払う。たとえば歴史的事実のほとんど何も知られていない小野小町や弁慶の伝説的人物としての役割を詳述する。(どういうことかというと、たとえば「小野小町」は今回すごく長い項目になっています。ですけれども、歴史的な事実としては、この中の「平安時代前期の女流歌人。生没年不詳。六歌仙、三十六歌仙の一人。
…系図については諸説あるが、確かなことは不明。小町の名についても、…諸説ある。」という記述くらいで、ほとんどが不明で分からないわけです。ですから、おそらく普通の百科事典的な記述でいうと10 行ぐらいで項目が終わる。
しかし、今回は、そこから小野小町という人間が日本人にとってどういう存在になっていったかということが、その後に書かれるわけです。ここが肝心な点です。例えば男の在原業平は美男の典型ですが、それに対して美女の典型である小野小町がその後の日本の文化の中でどういう役割をして、どのような位置づけになってきたのかということがざぁーっと書かれている。このことのほうが日本の文化を考えるときに、あるいは文学を考えるときに重要なのですね。謡曲などでは「○○小町」という曲が7 つぐらいあるわけですけれども、そういったところに小野小町は伝説化されて大きな存在として反映されていくということを、今回の百科事典では注目したということが、ここに書かれているわけです。時間の都合で少し端折りますが、最後はこのような言葉で締めくくられています。)
この事典は、専門領域以外の事物について、早く、正確な情報を得たいと思う日本国民のだれでも利用することのできる道具である。道具が役にたつだろうことを切に願う。(これはそういうことの道具として役立ててもらえればいいんだということを言っているわけです。そうした形でできている百科事典です。)

なぜ今、〈紙〉の百科事典か?
デジタルが全盛のこの時代に、なぜ今、〈紙〉の百科事典なのか? 皆さん、ネット上のフリーの百科事典ウィキペディアがあるではないかとおっしゃるだろうと思いますので、そこを敢えて申し上げようと思います。平凡社のPR 誌『月刊百科』に書いていただいた佐藤優氏の文章をご紹介いたします。彼はいつも「起訴休職外務事務官」という肩書きを使っていますよね。『獄中記』とか『国家の罠』というような本を出して、「国策捜査」という言葉を流行らせた佐藤優さんに今回の『世界大百科事典』について書いてもらった一部を引用させていただきます。驚くべきことに彼はなんと、中学時代と高校時代に1 回ずつ『世界大百科事典』を通読したというんですね。
(佐藤優氏の文章を読みながら。文中の( )は関口のコメント)「私は百科事典の魅力にすっかり取り憑かれてしまい、結局、中学生時代、高校生時代に1 回ずつ、『世界大百科事典』全35 巻を通読した。」 (これはちょっとすごいんですけれども、たまにいるんですね、こういう人が。その彼が、このインターネット時代に、それでも何で紙の百科事典かということを書いているので、これも私がごちゃごちゃ話すよりも、彼の文章を読んでいただくのがいいと思います。)
「父が私にこの百科事典を買ってくれた頃は、インターネット時代の到来を誰も予測していなかった。インターネットの< ウィキペディア> で、情報はただで手に入れることができるので、高価で、場所ふさぎの百科事典を買う必要などないという意見もときどき耳にするが、私の見解ではこれは少なくとも三つの理由で間違っている。第一の理由は、「ウィキペディア」などの誰もが書き込むことができるインターネット百科事典は、編集権が不在であることだ。『世界大百科事典』の場合、老舗出版社である平凡社が社運をかけて、優れた編集チームを作って(ありがたい言葉です)、当該分野の第一人者に執筆を依頼している。もし、間違えた記述や、不適切な解説があった場合、責任を負う者や法人がある表現物とそうでない表現物は、信憑性が根本的に異なる。第二の理由は、人間は基本的にケチな動物なので、自分でカネを出した書物(今は税込みで28 万3500 円で買えます。
まあ、これを買ったら使わなければ損というのは正直なところだと思いますが)に書かれている内容は、タダの情報よりも身につくからだ。私のところにも多数の献本が来るが、ほんとうに読みたいと思う本については、献本は友人に寄贈し、別途、近所の本屋で同じ本を買う。その方が内容が記憶によく定着するのである。第三の理由は、より哲学的なものだ。インターネットの情報は、書き込みによって肥大していく。常に更新されていくのは、最新情報を入手するという観点では確かに便利である。しかし、それでは、<百科事典(エンチクロペディー)>が本来果たそうとした機能が果たせないのである。百科事典の目的は、単なる物知り辞書ではない。歴史をある時点で切断し、その時点での体系知の構造を提示するのが本来の目的なのだ。
要するに、百科事典に収録されている内容は、その時点での、当該言語を使う文化圏での、独自の体系知を提示することである。(それができるのは、やはり〈紙〉の百科事典であろうということを、ここでお話いただいているわけです。
そして最後に‥) 本来、百科事典編纂作業は国家プロジェクトとして行うべきであるが、平凡社の力量(これが非常に非力なんですけれども)に日本国家が甘えているということなのであろう。実際、『世界大百科事典』の内容は、ロシアが国家プロジェクトで作成した百科事典に匹敵する。」とまで書いていただいたので、とても頭が下がります。だいぶヨイショしていただいていますが、こういう形で百科事典が作られているということをご承知おきいただければありがたいと思います。しかしながら、百科事典は今のデジタル時代にどうなっていくのかということが一方であるわけです。平凡社としても、そのことを見据えて、今後どういう形になるかはまだ分かりませんが、デジタルの形を利用して、さまざまに百科事典を編集していくことの検討を始めたところです。
平凡社は今まで大きくは3 回、1930 年代と1950 年代、1980 年代に大きい百科事典を作ってきました。大体、30 年に1 回、百科事典を作っていまして、最後に作った百科事典がすでに20 年ほど経っていますので、この10 年の間に、これはデジタルを使ったものにせざるを得ないのですが、そうした百科事典を作ることを目標にしたい。5 年後に創業100年も迎えますし、今はまだ具体的にお話するまでには至りませんが、そのようなことを考えています。
最後は駆け足になってしまって申し訳ありません。時間が無くなってしまいました。索引というものがどれほど重要であるかとか、それから参考文献というのがどんなに重要で、それが平凡社の事典だけでなく、平凡社で作っている書籍にも反映しているのだというお話だとか、また百科事典には必ず地図を付けますので、平凡社は他の出版社と違って、地図制作の伝統があるということについてもご紹介したかったのですが、残念ながら、言及する時間がなくなってしまいました。ではこのへんで話を終わりにさせていただきます。
ご清聴ありがとうございました。

質疑応答
司会 ありがとうございました。せっかくの機会ですので関口さんにご質問したいという方いらっしゃいましたら、どうぞ。

質問者1  百科事典の著作権というのはどうなっているんでしょうか。執筆者は7000人いらっしゃるということですが、原稿を著者に書いていただくときにそれはどのように考えているのですか。

関口 当然ながら著作権はその著者にあります。編集著作権というのは我々が持つわけですが、著作権は著者にありますから、我々が改訂するときに、必ず著者に立ち返って許可を求めるということになります。7000 人やります。

質問者2 百科事典で著作権侵害の係争等、かつてあったことはありますか。

関口 要するにこういうことですね。他の方の著作をある程度侵害した記述があって、そのことについて訴えられたかということですね。それはあったと思います。具体的に、今、こういうことがありましたというのはお話できませんけれども。どうしても記述が似てくるんです。何故かというと、原稿の分量に制約が課せられるからです。基本的に原稿の文字数は200 字から600 字、その著者が著者名を付けて記述をするということになると、非常に難しい状況が起こるのは確かです。ですから、著作権侵害ということは、残念ながら可能性としてあります。ご自分で200 字で何が書けるかを想像していただくとイメージできると思います。

質問者3 佐藤優さんの文章にあるように、私が子どものころは、中学に入学すると親が買ってくるということがあったと思うけれども、今は、確かにどこのマンションでもこうした書物を置けない状況だと思うのです。個人で買ってくださるお客さまはどういう方でしょう。

関口 以前はおっしゃるように、特に高度成長のときには家に応接間というのができて、その応接間に鎮座していたのが百科事典とステレオセット、つまり飾ってあるだけですね。外から人が来ると、この家はなかなかのものだ、ということで、そういう人がターゲットになったんです。実際その頃は競うように百科事典が買われていました。ところが今はなかなかそういうわけにはいきません。正直申し上げて、年に500 セットというところです。お子さんが大きくなったとか、新しく図書館ができたとか、個人でなくても、そういうところがターゲットになろうかと思います。
2007 年に平成の大合併などを中心に大きな改訂したときには、編集的にもデジタル化が図られたので、お金がかかったのですが、年間で2000 セットぐらい出ましたので、まだまだ改訂すればお客さんがいるのかな、というふうに思っております。

司会 お時間となりましたので質問はここまでにさせていただきます。ありがとうございました。きょうは関口さんのお話を伺っていて、百科事典を作ってこられた平凡社さんの特徴がよくわかったかなと、思います。本作りは信頼性が大切であるということ。そのような風土の中で事典以外の本にも自然と信頼性に対する高さというのが結果的に出てくることを感じました。ちなみに、私たち図書館員は本を選ぶときにいろいろな視点を持っています。索引がきちんとついているかとか、参考文献がしっかりカバーされているか、地図や図版が使いやすいかとか、内容の信頼性とかなどの視点を、図書館として本を選ぶときのポイントとして意識しています。そういう意味では、まさにこの百科事典というのは本の王様だなと常日頃感じております。さらに千代田図書館から出版社の特色を知るためのポイントをもう1 つお伝えいたします。平凡社さんからは『月刊百科』という雑誌が出されています。これは平凡社さんが発行していらっしゃるPR 誌です。出版社が発行する本の総目録や目録、書評や連載小説やエッセイなど読み物などもとても充実しています。最新の出版物の詳しい情報や出版社の特色や得意分野など、本を選ぶときのヒントが満載になっておりますので、ぜひ一度はご覧になってください。千代田図書館には出版社PR誌を約20 タイトル以上集めたコーナーがあります。
それでは、これで本日の人文会セミナーを終了いたします。改めまして、大変貴重なお話しを聞かせてくださいました、関口さんにもう一度拍手をお願いいたします。(拍手)本日は、どうもありがとうございました。

下中弥三郎

しもなかやさぶろう平凡社創業1878.6.12-1961.2.21兵庫県に生まれる。家業の陶器造りから小学校教員を経て上京、教育畑を歩んで後、大正三年に自ら『や、此は便利だ』を著述、平凡社を興して出版に成功。以降文学全集、美術全集、百科事典など民衆教育に貢献し更に戦後は国際平和への行動でも大きく寄与した。なかでも平凡社の代名詞ともなり世界的に名を馳せた昭和六年(1931)十一月二十五日第一巻創刊『大百科事典』の企画と完結大成功とは、創業者下中渾身の理想の実現であった。掲載作は、昭和九年(1934)の完成に当たって記された感銘の一文。

大百科事典の完結に際して思い出を語る

三歳にして父を喪い、母の手一つで育った私は、恥ずかしながら満足に学校教育を受け得なかった。小学校へは十一歳まで通い、十二歳から学業を廃して家業を助けねばならなかった。しかし生れついた知識欲は年と共に成長し、激しい労働に服しながらも夜学などして一日たりとも研学の志は捨てなかった。
二十一歳の時、神戸に出て小学校代用教員になり、独学にて小学校教員の免許を得た。私の奉職した小学校は、五十余の学級を有する学校だけに、参考書が豊富であった。私は、小学校尋正の検定試験に合格してからは特に国語に興味を覚え、他の宿直までも引き受けて、学校図書館の蔵書を片っ端から辞書を引き引き耽読した。その頃、たしか佐村八郎氏の『国書解題』が分冊刊行中だったと記憶する。幾月目にか到着する仮綴じ本を貪り食うように一行一行読み耽った。「解題」を読みながら、『埃嚢抄』、『うけらが花』、『翁草』、『あゆひ抄』、『かざし抄』、『貞丈雑記』など実物を読み得たらばさぞと、帝国図書館のあると聞く東京の空に憧れた。大槻文彦先生の『広日本文典、同別記がその頃刊』行せられて流行した。これをも、私は幾度となく読み返した。腰折れ和歌、月並発句を同僚と共にものするようになったのもその頃。読書欲とならんで創作欲も進み、日本文学史の新組織を立て、謡曲、狂言の文化史的研究を試みなどした。一方、学校教育上の仕事にも自分の研究を結びつけることを怠らなかった『小学校における国語及びその教授法』と題する二百ページ足らずの一書を著作したが、もとより、出版を引き受けてくれる書肆(しょし)のあろうはずはなく、ついに自費で出版した。菊半截仮綴じ本一冊二十五銭、それでも千部刷って七百部ばかり兵庫県下だけで売れた。これが私の処女作であり、処女出版だったのである。

二十四歳の暮れ、憧れの東京に出て、帝国教育会の国語漢文講習科というに入学した。これは夜学で二年修了の制度だったが、半年で止めた。先生の講義を聞くより図書館で研究する方が実のある勉強が出来ると思ったからである。
私は、その頃、言語学、比較文法、文章法の研究に興味を覚え、その方面の書物はずいぶん広くあさり読んだ。文法は、初めに文の組織を簡単に説明して品詞に入り、品詞の分類から声音学、文法学に入り、さらに各品詞の個別的説明に進み、最後に、文の解剖に及ぶべきだというような、一家の見を立てて総合文法書の著作を思い立ったりした。

明治三十五年から四十年までは、新興日本の胎動期であった。文学界にはロマンチシズムから自然主義への移行があり、思想界には、社会主義、美的生活、自称神仏輩出などの混迷が連鎖し、現実社会には日露戦役が戦われた。時代は、国語国文学の一小学徒を駆って、哲学宗教に耽らせ、社会主義にかぶれしめ、暴露文学に興味をもたしめ、学問上の一浮浪人たらしめねばやまなかった。
その頃である。丸善が『エンサイクロペディア・ブリタニカ』の第十版三十五冊を予約申込金のみで一時に配本し、あとは月賦で集金するという大胆な販売法を発表したのは。私は友人と共同して早速予約したが、十分には咀嚼できぬまでも、その内容の豊富なるに驚かされ、わが国にもこれくらいの整った百科事典があってもよいと思った。

明治三十八年から四十一年まで私は日本女子美術学校の教師兼幹事となり、私立学校経営の艱苦(かんく)をつぶさになめたが、その間に私は美術研究にも深入りし、学問上の浮浪人は、さらにその浮浪的地域を拡げた。国語国文学も愉快だが、哲学宗教にも深みがあり、社会科学も教育学も面白く、文学美術にはまた捨て難い醍醐味がある。初め、国語国文学の研究に出発した私は、歳三十にしてついに興味過多症に陥り、種々の方面へ心が拡がって行った。

明治四十一年から約二年間、大久保百人町の小さな藁葺小屋に独居して、戸山ヶ原に山の芋を掘り、東中野の小流れに蜆を拾い、鉄無地の十徳を着て、さながら隠者の生活を続けた。徳冨蘆花を粕谷の農園に訪い、メシア・ブッダの宮崎虎之助と道すがらに語りなどして自ら悟りすました気にさえなっていた。
今も監獄の教誨書などになっているという話の『通俗菜根譚』、『通俗呻吟語』、『通俗読書録』、『通俗言志四録』、『通俗洗心洞剳記(せんしんどうとうき)』、『現代語訳靖献遺言(せいけんいげん)』などは、私のその頃の著述である。

明治四十三年中等教員検定試験に合格し、明治四十四年、埼玉県師範学校に職を奉じ、教育学、心理学、倫理学などを講義することになったが、この学校はかつて文部卿森有礼氏が、わが師範教育制度を創始するに当って、実験的に諸制度を試行した学校ではあり、横田国臣、清浦奎吾(けいご)などいう後の諸名士が教鞭をとったことのある学校だけあって、和漢洋の参考書が夥しく用意せられてあった。後年、学校火災のために大部分焼失はしたが、当時は『古今図書集成』、『佩文韻府(はいぶんいんぷ)』、『二十一史』、『資治通鑑(しじつがん)』、『通鑑綱目』、『群書類従』、『史籍集覧』、『古事類苑』、『国史大系』の類は言わずもがな、辞書類では『三才図会(さんさいずえ)』、『雅言集覧』、『古今要覧稿』、『和訓栞』、『嬉遊笑覧』、『日本社会事彙』、山田美妙斎、物集高見らの国語辞書をはじめ、三省堂版『日本百科大辞典』、『言海』、『ことばの泉』、『仏教辞典』、『美術辞典』、『ウェブスター英辞書』など一通りの研鑽に必要な参考書は、ほとんどこと欠かぬ程度に備わっていた。興味過多症に罹(かか)っていた私はこの学校に勤めることによって恵まれた。ことにそのころ、外国書の翻訳で大きな貢献を示した文明協会本の第一期、第二期が刊行せられていて、語学の力の足りぬ私に、百科的知識を吸収せしむるに絶大の便宜を与えてくれた。
『価値の哲学』、『社会の経済的基礎』、『今日の化学』などいうような書物は、独学者の私の知見をどんなに広めてくれたことか。五十冊近い文明協会本を私はほとんど目を通した。理解を助けるために、三省堂の『日本百科大辞典』を時おり開いて、辞書の有難さをしみじみ味わったが、さて、辞書は用い慣れると、欠点が眼につき、次第によき辞書への欲求が起こる。私の百科事典編纂への意志は確かにこの時代に潜在固定した。

大正三年、私は『や、此は便利だ』と題する新語辞書を著作し、これを成蹊社という出版社から発行したが、資金関係でその社がつぶれ、私自身自ら出版せざるを得ぬことになった。これが平凡社のそもそもの起こりである。平凡社という名は、どういう意味かとよくたずねられる。いろいろの名を選んで見ても、高尚な名にはすべていわれがあり、偏りがあって面白くなく苦しんでいると、傍から妻が、それなら平凡社がよいでしょうと言い出したので、それをそのまま社名とした次第で、深い意味は何もなかったのである。
さて『や、此は便利だ』を通信販売法によって発売して見ると、随分よく売れる。売り出した年一年に三万部くらいも売れた。この書は、単に新語、流行語の辞書であるばかりでなく、文字の用法、人口に膾炙(かいしゃ)する詩、歌、句、格言、故事、諺などの略解等もあって、私どものような学校教育を満足に受け得なかったものにとっては、便利な書物である。つまり、私自身必要とするところ他もまた必要とするであろう、という信条に立っての出版だったのである。
『や、此は便利だ』がよく売れたので、私はこれに力を得て、早く立派な百科事典を発行するような機会をと待ち望んだ。
平凡社は、おいおいに発展して、大正十二年六月、株式会社になり、九月の震災で焼失したが『や、此は便利だ、』、『神祗辞典』、『家政講話』などの再版もので社運を挽回し、昭和二年『大衆文学全集』、『世界美術全集』の二大叢書を出版するに至って平凡社の社会的声価は高まり社基もようやく立ったから、私は世界的な百科事典の完成へと徐々に準備を始めた。
当時、私の考えた理想的な百科事典は、四六倍判千五百ページのもの三十六巻、世界のありとあらゆる事象を網羅説明し尽すというにあった。で、まずその準備出版を始めることに注意し、昭和二年から昭和六年までに、計画し、着手し、中止した百科事典が五種ある。(一)『国民百科事彙』(菊判三冊案)。(二)『分科百科事典全集』(四六判八百ページ十五冊案)。(三)『常識百科全集』(四『文明百科新事典(四六判七百ページ十二冊案)。(五)『小型百科事典』(四六判七百ページ十二冊案)。このうち『文明百科』と『小型百科』とは、名は異なるけれども、実質は全く同じ案であった。
昭和四年春、かつて、高畠素之君の『社会問題辞典』の編纂にたずさわったことのある小栗慶太郎君から国際辞典を発行せぬかとの奨めがあった時、これは狭くて営業性に乏しい、分科百科事典の案があるからその一つに加えてもよいと話して別れた。その後、一方、児童百科事典の項目選定中だった大西伍一君と、さらに一方、国語大辞典の執筆委嘱中だった松浦林太郎君と小栗君と私との間に話が熟し、案がかなり成長したので、昭和四年の暮から、編纂に着手し、昭和五年五月、笹塚に編纂所を特設して、専門の編纂者が毎日五、六人従事することになった。これが前記の『小型百科』案だったのである。
昭和五年秋、笹塚を引き上げて、虎の門の和合倶楽部に編纂所を移転した時には、小野俊一君の指導の下に、正垣清君、関本重雄君、犬飼時男君、神永文三君等が加わり、社外執筆者数十人を委嘱し、一方原稿を依頼すると共に、一方カードの整理を行ない、着々編纂事務は進行して行った。しかし、仕事が進むにつれて、いろいろの困難が起こった。
社外から集まって来る原稿は長短とりどりでそのまま使うわけに行かない。項目選定の標準を現代文明に重きをおくとはいえ、百科事典としては歴史的記述が大切である。中等程度の学生を標準にするというものの、そういう程度を目安に原稿を書くことは困難である。出版後の営業成績にも自信が持てそうにない。
むしろ思い切って、年来の宿望たる『世界大百科』を一挙に完成しよう、『小型百科』、『分科百科』はむしろ『世界大百科』完成の後に譲ろう、それがよいと決心した。
かくて『小型百科』への過去の努力の集積を一応すべて反古(ほご)にし、何万円かの投資を無にして、ただ苦難の経験だけを生かして、ここに新たなる大計画『世界大百科』へと方向を急転回した。
当時、平凡社は、故有島武郎君の旧宅七百坪を用いていたが、特に七十坪の二階建仮建築を『大百科』の編纂所として建築し、七十余人の編纂者によって仕事が一時に始められた。
『大百科』編纂の最初の苦心は、適当な編集長を聘(へい)することにあった。私は、少なくも私の知る範囲においては、かかる仕事に適すると思われる人を日本中で二人だけ頭に描き得た。一人は京都の土田杏村(きょうそん)君、一人は前早大講師木村久一君、この二人であった。ところが、土田杏村君は常に薬餌に親しんでいて、案の相談くらいにはあずかってくれるにしても、実務をとってくれられる人でないことはわかり切っておる。そこで、結局、木村久一君しかない。何とか同君に頼みたいと思って相談したところ、同君は「意味のある仕事だが、しかし」とためらって、さて「下中君、そんな大規模な計画をしかも君の要求するような期間に出版するということはとうてい不可能だよ」という。
不可能であっても可能ならしめなくてはならぬ。編纂の仕事は、刻々進んでおる。カード部の活動、編纂方針の打ち合わせなど毎日戦場のような騒ぎである。事情を詳細に話して、何とか考えてくれないかと繰り返し相談に及んだ結果、「とにかくやれるだけやって見よう。が実際、君、この仕事は命取りだよ」といって、ついに引き受けてくれた。
編集部には、すでに立派な人たちが集まっている。アルスの編集部に重位を占めていた近藤憲二君、前記の小栗慶太郎君、第一書房で鳴らした山田勝次君、永らく欧州にいた守田有秋君、新光社の編集部で『万有科学』をやっていた徳満喜義君『国際年鑑』を一人でやった古荘国雄君『東日』の学芸部にいた安成二郎君、アルスの編集長だった今井末夫君、天人社の編集長だった鎌田敬止君『科学画報』の編集長だった岡部長節君、第一書房の編集長だった酒井欣君(これは後れての入社)、編集校正の経験から言えば一流の出版元でみな腕を鍛えた一国一城の主格(あるじかく)の人たちが十数人いる。専門の方面から言っても、科学、哲学、文学、法律、社会、すべてにわたって網羅されている。語学の方面から言っても、ドイツ語、フランス語、英語、漢語、国語のそれぞれの専攻者が含まれている。
これに、哲学、社会学方面の専攻であって、しかも諸学に通ずる沢田久雄君が、学者専門家への交渉万端一切を切り廻してくれている。これらの人たちの間に編集長としての仕事をやって行こうとする木村君の労苦や実に容易のことではなかったろう。木村君には、編集長として項目の決定、原稿の内容、釣合い、説明の難易、文体、発音、語法の統一という方面に主力を注いでもらい、沢田君には、編集事務長として、顧問・執筆者との交渉、原稿料の支払い・決定、原稿収集から、編集各員の統制等を担当してもらうことに一決した。
作られた編集組織は、カード調整部、原稿依頼収集部、原稿精査統制部、校正部、図版部、庶務会計部に大別され、原稿部はさらに、第一部=自然科学及びその応用、第二部=精神科学一般、第三部=文学美術、第四部=社会一般に区別され、校正部は初校再校部、小張審査部、大張指導部、大張仕上部に区別され、それぞれ連絡を保ちつつ仕事を進める。
昭和六年六月初旬、上野精養軒に第一部の顧問会を開いて、次の計画案を提出して批評を乞い、諸先生御指導のもとに、各大学の研究室の専門家を悉く動員してもらうよう依頼した。

(計画案省略)

さて、なお編集及び出版方針については、左の諸点を特に強調した。
一、なるべく完備せる日本語の百科事典を作りたい。内容量は、三省堂の『日本百科大辞典』の約五割増の計画。
二、なるべく、現代の生きた知識を網羅したい。歴史的記述は百科事典の生命だが、古いことよりはむしろ現代生活に関した知識を重んじたい。
三、第一巻刊行から最終巻を出すまでの期間をなるべく短くしたい。願わくは月一冊二ヵ年間に完結したい。
四、広く普及するためにはなるべく価を安く供給したい。出来得るならば一冊五円以内で供給したい。
五、内容上、大物扱いすべきものは『ブリタニカ』流に、精密をきわめるように。一般事項は『マイエル』流に、なるべく簡潔に。各々の長所を採り入れたい。
すると、諸大家、諸先生の多くは、ただあっ気にとられたという様子。熱意ある先生方は、その無謀をたしなめられる。鋭い質問が次から次へと出る。随分応答に窮するほどの質問も出た。しかし私は、大胆率直にいちいち応答した。最も鋭い質問は、「二年間に終るには月一冊あて出さなくてはならぬが、そんな無法なことが果たして出来るか」「百科事典は出版事業中、至難の事業とされている。三省堂さえそのため行きづまった。平凡社に果たしてさような能力があるか」この二点であった。私は答えた。
一、今日、印刷文化の進歩はいちじるしい。月一巻四六倍判八百ページくらいのものを出すことは必ずしも不可能ではない。殊に今度採用する単式印刷法は、一語一語タイプライター(四号活字大)で印字したものを校正しておき、印刷する直前になって、項目順に配列して大張り(一ページにまとめる)する。それを写真でちぢめて、オフセット印刷に付する。これによると、校正中、沢山な活字を組み置く要なく、原稿も、初めから順を追うて出さなくともよいので、仕事が非常にやり易い。
二、次に、平凡社にその能力ありやの質問に対しては、断じて御心配に及ばない。その理由は、今日の平凡社は月々二十余種の全集を出している。その月々の分量は一万ページ二十万冊以上である。それを難なくやってのけている。
『美術全集』、『書道全集』等みな編纂ものであるが、まだ一度も期日を違えたことがない。百科事典はなるほど困難な事業には相違ないが、平凡社の今日の能力と経験から言えば何でもない。百科事典といえば三省堂のこと以来必ず損をするものかのように世間では考えているが、百科事典必ずしも損をするとは限らない。三省堂破綻の禍根は、百科辞典よりは、むしろ他にあったと言われている。平凡社は今日財的に必ずしも豊かではないが、第一流の紙屋、印刷屋、広告屋、大売捌店によって支援されている。この意味において平凡社の経営基礎は磐石である。
そこで、さらに顧問の諸先生から次の質問が出た。
「技術的にも財的にもこの計画が可能なりとして、さて、何年後にその第一巻を出すつもりか」
私は即座に答えた。
「本年十一月から」
すると、諸先生方は、互に眼を見合わせて驚かれた。
「いかに神わざでも、そんなに早く出来るはずがない」
とて、日本の例、外国の例を示され、
「さように無謀きわまりなき計画には容易に同意しかねる」
とさえ極言された。けれども私は、いちいちその無謀ならぬ理由を説明した。
「一冊四千枚、百六十万字として、これを百人で分担執筆すれば四十枚、一万六千字。五百人なれば八枚、三千二百字。すなわち一日一人百字ばかりとなる。
先生方への原稿依頼のためには、それに必要なだけの編集員を増員する。出来る、出来ないは結局、費用を存分に投じ得るか否かの問題である」
すると加藤武夫博士は、
「千人の執筆者に一人一人編集者をつけるくらいでなくてはだめだ、それが出来るか」と暗に不可能を証するように言われ、その他の方々も、「無茶なことをいうな」というような顔をなされた。ただ一人、倉橋藤治郎君は、「下中君の話を聞いて見ると、なるほど出来るという感じもする。仕事というものは覚悟一つだ」
白け切った席を見かねて、助け船を出してくれられた。
食堂ヘ入る時、常から懇意な伊東忠太博士は、「君、専門によっては、学者がただ一人しかない、かけがえのない人があるからな、病気でもすると困るよ、君のいうように計算ずくではだめだ」と注意して下された。
続いて第二部、第三部、第四部の顧問会を開いて、それぞれ同じような説明、同じような質問、同じような応答、そして、諸先生に危ぶまれながら、どうあってもやり抜かねばならぬというので、昼夜兼行、日曜祭日すら休みなく、編集各部一同、大馬力をかけて活動を続け、校正部のごときは印刷所の付近に宿を借りて、十日以上も家庭に帰らず連続的に活動してくれ、予定通りの十一月二十五日、その第一巻の雄姿を全国書店の店頭にあらわし得た。

昭和六年十二月八日、東京会館に『大百科事典』刊行披露会を開いたが、学界諸先輩、執筆諸家、同業者等、来会者約八百名。席上、田中館愛橘博士は、「世には羊頭を掲げて狗肉を売るものの多い中、狗頭を掲げて羊肉を売るというのが平凡社のやり方である。平凡社は名は平凡だが、その為すところは常に非凡である。殊に今回の百科事典計画のごとき最も非凡なる計画であって、しかも最も意義深き仕事である」と冒頭して、百科事典の現代的必要を述べ、一転して、「ある学者は、大陸移動説という新学説を十五分間で講演してくれと頼まれた時、二時間の講演なら今すぐにでも準備なしに引き受けられるが、十五分間に講演するとなると、少なくとも一週間ぐらい猶予をもらって、ゆっくり用意しなくては出来ない、といったそうだが、すベて物を要領よく簡潔に説明するということは実にむずかしいもので、ぼんくらには出来ないことである『大百科事典』は、わが国のあらゆる学者を動員してやっておるというが、もってわが国の学者のメンタルテストになるであろう」とて、百科事典原稿の執筆すこぶる困難なるを諷されたのであった。

第一巻はともかくも世に出た。第二巻、第三巻と続けて出さなくてはならぬ。月一回必ず配本と公約しておる以上、どうあってもやり抜かなくてはならぬ。その苦心また実に一通りではない。一方、第一巻出来と前後して予約会員の募集に取りかかった。さすがに百科事典への熱望は国民の各知識層に溢れ漲っている。予約申込みが続々ある。しかし一方にまた、平凡社がこの大業を果たしてやり遂げ得るかの懸念から、申込みを差し控える向きがあるとの情報が頻々と来る。大阪のある大会社では、二十三人申込者が集まってから、中途挫折せぬとも限らぬとの浮説のために、一列申込みを差し控えたとの話が耳を打つ。
読者の、かかる危惧と相まって、各地の書肆(しょし)が心配し出した。予約はとっても、中途で出来なくなると、他の出版物と違って、中途半端では役に立たぬ、得意先から戻されるようなことになると迷惑するというので、申込みがあっても、事情を話して断わっている店さえあるという。
これは大変だというので、大阪の大取次柳原書店では、かかる浮説を封じ、書店を安心させて活動させるために、弊店が後援している平凡社である、決して中途挫折させるような恐れはないが、万が一にもそのような場合には、決して貴店ならびに読者に迷惑はかけぬ、不用に帰した書物はその場合引き取ってもよろしい、心配ならば一札を入れてもよいとまで保証してくれられたので、やっと関西の書店も安心して予約を募ってくれたというようなわけで、予約者獲得には随分と苦しんだ。第一巻の月報の中に、私は「地球の運行の停止せぬ限り『平凡社の大百科事典』は必ず月一回発行される」とまで発行日励行を強 調したのも、実は天下に安心してもらいたかったからである。第一巻発刊披露会の席上、平凡社の経済的問題に言及して「平凡社は、経済的には大船に乗っておるようなものである執筆者諸氏はその点に少しも心配されぬように願う。
平凡社は、月々十五万の売上げを有する。代りに五、六十万の買掛けを有する。
買掛け先は、日本第一流の洋紙店、印刷会社、広告取次店、製本所等である。
この取引先の諸君は、平凡社の発展をこそ願え、決して平凡社の没落を好まれるものではない。従って、必ず、平凡社の事業の進行を助けて下さるはずである。くだらない出版物ならばとにかく、学界の諸権威を網羅する劃時代的の国家事業である。必ず助けて下さることを信じて疑わない」と、それぞれの取引先の主人を前にして言明したのも、執筆者諸氏に不安を抱かせては大変だと考えたからであった。この間の苦心配慮、まことに、知る人ぞ知るである。

幸いにして、『大百科事典』予約募集の成績は相応の程度に達して成功した。書店が危ぶみ、同業者が危ぶみ、専門家も執筆しながら危ぶんでいたにもかかわらず、平凡社に対する国民的信頼はこの予約募集の上に如実に反映した。予約締切り当初一万六、七千人の予約者だったのが、巻を重ぬるごとに増加して、昭和七年十二月十四日、前半完成祝賀会を催した頃には、すでに二万五千人を突破していた。同祝賀会の席上、私が「今や危ぶまれながらも月一回必ず配本の約を履んで、二十四巻の前半十二巻をここに刊行し得たるは、執筆諸家の努力、編集部一同の奮闘、営業部の活躍にまつところもとより大ではあるが、同時に、予約募集の際、平凡社を信頼して、海のものとも山のものともつかぬ最初から、何等の躊躇なく予約会員となって下さった全国一万七千人の支持者こそこの仕事を完成せしめられるに最もあずかって力のあったことを言明して、ここに満腔の謝意を表する」と言ったのは、実に衷心そのままの叫びだったのである。
『大百科事典』は初め二十四巻で完結の予定であったところ、原稿がだんだん精緻になり、読者もまた、終りを端折って不完全なものとするよりは、たとい数冊増巻するとも完全を期してほしいとの要求が多く、編集部においても、なるべく重複を省き表現を引き締め、項目や内容を不完全ならしめずして、しかも冊数はなるべく予定通りにと努力したが、ついに二巻増の二十六巻をもって一応完結することになった。しかし第一巻を発刊してからはや三ヵ年に近くその後の研究も進み、新事実も現われ、また第一巻以来、脱落せるもの、説明の足らざるもの等をまとめて一巻とし、これを第二十七巻(補巻)として発行することにしたのは、完璧の上にも完璧を期そうとする努力の現われであることを御諒承願いたい。さらに、目下編纂中の総索引が第二十八巻として発行せられることになっているが、内容総索引の編纂は実に容易の業ではなく、本年一ぱいに刊行の予定であるが、恐らく若干遅れるであろう。原稿の分量からいうと、普通の巻の四倍余にも相当するので、膨大なる大冊になりそうである。用紙の選択、組版の研究によって、いかに分量が多くとも一冊にまとめる積りで、目下編纂を進めている。

書名を『大百科事典』とした来歴、一冊七百ないし八百ページとした理由、背文字を左横書きとした理由、地図製作の苦心、挿図資料収集の苦心、二ヵ年半の間に編集部に起こった出来事、エピソード、執筆者の変動、他界などいちいち数えあげればいずれも限りなき思い出ではある。しかし、ここには一切これらを略することにする。

最後に私は、かつて『大百科月報』に発表したと同じ言葉を繰り返して、この思い出語りを結ぶことにする。
「私は、ほとんど学校教育を受け得ないで育ったために、書物ばかりにたよって学問しました。私が教職を抛って出版事業を始めた動機も、出版事業着手の最初から、立派な百科事典を出したいと念願するようになった動機も、ともに私の経歴が然らしめたのです。私の要求するところ、他もまたこれを要求するであろう。私はこの信条に立っております。私は百科事典を要求する、私の家庭また百科事典を要求する、ゆえに百科事典は隣人同胞の要求であり、万人家庭の要求であろう。百科事典出版せざるべからず、すなわち、これが私の百科事典出版に対する一貫不惑の動機だったのです。
百科事典の刊行!口で言い、頭で考えるだけならなんでもないが、いよいよこれを具体的に実現しようとなると、実に困難な事業なのです。第一には正しい計画を立てること。第二には執筆者の賛同を得ること。第三には資金の準備。第四には編集の組織。第五には出版技術の問題。広告にもうたっていますように、案を立てて十年、案を改むること五たび、この五たびというのは、頭で考えての案の変更ではなく、事実着手して、ある程度費用をかけて、それを反古にしてまた新しく出発することを指すので、頭で考え、頭で変更した案について言えば、恐らく百たびも変っていましょう。資を投ずること七十万、これも今日では厳密にはもっとかけているかも知れません。とにかく大努力、大奮闘の集積が、今日ただ今、ここにこの『大百科事典』となって現われたのです。
本『大百科事典』の完成に当り、わが学界の諸権威が快く参加せられ、知と時と労とを惜しみなく提供せられ、きわめて懇切なる指導を与えられたことをまず何よりも特筆したい。お陰でわが国にもはじめて世界的に遜色のない百科事典が誕生しました。フランスに『ラルース』があり、ドイツに『マイエル』があり、イギリスに『ブリタニカ』があり、日本に『大百科』があると、今日只今から高らかに言い得ることは発行者の私にとって非常な喜びであります。
この喜びを喜ばせて下された大方の関係者――執筆、編集、営業、製版、製図、印刷、装幀、製本、製紙、販売――諸氏に対し、私はここにわが平凡社を代表して謹んで感謝いたします」

「平凡社 百科事典」のご購入者の変遷

「大百科事典」は、ひと昔前まで「一家に1セット」という感じで、圧倒的にご家庭用の個人購入者が大半を占めていました。
個人のご家庭に最も売れていたピークは、1964年(昭和39年)10月10日から開催された東京オリンピックの頃からはじまり、1970年代(昭和40年代)、1980年代(昭和50年代)が家庭用個人購入のピークでした。
その頃、百科事典といえば「平凡社」という圧倒的地位を確立しました。
「平凡社世界大百科事典」のバージョンアップごとに継続的にご購入されているのが、小学校・中学校・高等学校・短期大学・大学・図書館・病院等のご購入先です。
2007年「平凡社 改訂新版 世界大百科事典」となってからの、目立ったご購入先は、新聞社・出版社のご購入が多かったようです。
2009年頃は進学予備校や学習塾のまとめ買いが目立ちました。
2011年頃からは、商品開発の参考にしたいとIT関連会社からの購入が目立ちます。


よくあるご質問

お客様より、「古い百科事典があるので、引き取ってもらえないか。」「古い百科事典を購入してくれる業者はいませんか。」という内容のお電話をいただくことがありますが、「古い大百科事典を下取りサービス」(他社の大百科事典でも可)は、今回「平凡社 改訂新版 世界大百科事典」をご購入される方へのサービスでございます。
「古い百科事典」のみの下取りサービスは一切行なっておりません。申し訳ございません。


平凡社関連ニュース

・「白川静 文字講話」等で有名な、白川静さん 2006年内臓疾患のため死去。96歳。
・2007年9月 改訂新版 世界大百科事典 刊行。
・世界大百科事典 編集長 加藤周一さん 2008年12月5日、多臓器不全のた死去。89歳。
・2012年3月19日 平凡社移転。
  新住所 〒101-0051 東京都千代田区神田神保町3-29 帝国書院ビル7・8F
・2012年3月13日「ブリタニカ百科事典」が、現行の2010年度版を持って244年続いた書籍版の刊行をに幕を下ろすことを発表。
ブリタニカのほか、アメリカを代表する「アメリカーナ百科事典」も2007年の改訂以来、書籍版の刊行を中断中。
日本で唯一の総合大百科事典は、書籍の形態で百科事典を刊行し続けている、「平凡社 改訂新版 世界大百科事典」だけとなりました。
・元平凡社社長、下中直也さん(しもなか・なおや)さん。2012年5月4日死去。90歳。
・2014年で創立百周年。


平凡社の歴史
1914 下中弥三郎が自著の小百科事典「や、此は便利だ」の販売のため創立。
1923 株式会社に改組。
1927 「現代大衆文学全集」60巻の刊行開始。円本時代を築く。
1928 「大百科事典」全28巻刊行を発表(1934年完結)。
名実ともに「事典の平凡社」となる。
1945 戦時中の休業状態から再出発。「大百科事典」復刻、「社会科事典」「家庭科事典」「世界美術全集」「世界歴史事典」「児童百科事典」など刊行。
1954 創業40周年記念として「世界大百科事典」全32巻刊行を発表(1959年完結)。
1961 「国民百科事典」刊行開始。空前の百科事典ブーム。
1963 日本初の本格的グラフィック月刊誌「太陽」創刊。
1969 初のオールカラー事典「アポロ百科事典」刊行。
1972 「別冊 太陽」創刊。ムックの先駆けとなる。
1973〜 「南方熊楠全集」「中国の歴史」「中国石窟」シリーズ、「日本の野生植物」、新版「大百科事典」「世界大博物図鑑」「動物大百科」、「日本歴史地名大系」(刊行中)、「日本史大事典」など刊行。
1993 文庫「平凡社ライブラリー」創刊。
1997 デジタル百科「CD-ROM版 マルチメディア・マイペディア」発売。
1998 「CD-ROM版 世界大百科事典プロフェッショナル版」発売。「日本動物大百科」全11巻が完結。
1999 「平凡社新書」創刊。
2001 「日本の野生植物」全7巻、「白川静著作集」全12巻が完結。
2002 「中世思想原典集成」全21巻が完結。
2003 東洋文庫創刊40周年記念企画「ワイド版 東洋文庫」刊行。
2004 「日本歴史地名大系」本巻48巻が完結。白川静「新訂 字統」刊行。
2007 改訂新版 世界大百科事典 刊行。
2012 「ブリタニカ百科事典」が、現行の2010年度版を持って244年続いた書籍版の刊行をに幕を下ろすことを発表。
ブリタニカのほか、アメリカを代表する「アメリカーナ百科事典」も2007年の改訂以来、書籍版の刊行を中断中。
日本で唯一の総合大百科事典は、書籍の形態で百科事典を刊行し続けている、「平凡社 改訂新版 世界大百科事典」だけとなりました。


「平凡社」の社名の由来とは
「今日の平凡社」2009年8月1より
朝日新聞8月1日の朝刊別刷「be」を見ていたら、
社名の由来を紹介する欄「キミの名は」に、平凡社が出ていました。
出版社を立ち上げることにした下中弥三郎は社名を考えますが・・・。
社名には「あかつき社、希望社、純真社、便利社」などが挙がった。
だが、どれもぴんとこない。
そのとき、妻の緑さんが「平凡社はどう」と口をはさんだ。
ひょんな一言で「平凡社」に決まったわけであります。
記事からの引用をもう少し続けると、

 大正デモクラシーの中、
 いかにも平凡な名がかえって親しまれた。
 当時の学者は「羊頭狗肉は多いが、
 狗肉を掲げて羊頭を売るのが平凡社だ。
 名前は平凡でも、やる仕事は非凡だ」とほめたという。

平凡社の創業は1914年、 あと数年で創業100年を迎えます。
「名前は平凡でも、やる仕事は非凡」でありたいと思います。

                   「今日の平凡社」2009年8月1より

(株)平凡社は、
2013年(平成25年)6月12日(平凡社の創業日)で、99年。
2014年(平成26年)6月12日(平凡社の創業日)で、100年を迎える予定です。
1914年(大正3)以来、(株)平凡社は数々の百科事典を世に送り出してきました。
その長年の実績が、〈百科事典といえば平凡社〉という地位を確立し、他の追随を許していません。
『平凡社改訂新版世界大百科事典』は、(株)平凡社の歴史のすべてが込められた百科事典です。
質が違う。量が違う。自信をもって史上最強と銘打てる百科です。



お客様から、NHK[あさイチ」(2012年5月現在)で、司会者やコメンテイターの背景に出てくる百科事典のような映像は、「平凡社の世界大百科事典」ですか?という質問をよく受けることがありますが、あの百科事典のセットは、番組用の架空の商品です。
※「平凡社の百科事典」の色は、金色です。

※山口真美・中央大学教授らの研究チームによると、赤ちゃんは、「金色」が好きだという研究結果が発表されました。
「金色は太陽光や照明と非常に似ているので、赤ちゃんに安心感を与えるのではないか」と話しています。
「平凡社の百科事典」の色は、赤ちゃんも好む「金色」です。



※「平凡社」の「平」の字は、大正末期創業のため、正式には二つの点を末広がりの「八」状に記す旧字体を用いています。

「平凡社 世界大百科事典 」買い取りのご質問の件
 古い「平凡社 百科事典」のみの買い取りは、一切行なっておりません。
 「古い大百科事典を下取りサービス」(他社の大百科事典でも可)は、今回「平凡社 改訂新版 世界大百科事典」をご購入される方へのサービスでございます。
 再三ですが、あくまで、「平凡社 改訂新版 世界大百科事典」をご購入されるお客様限定の下取りサービス(他社の大百科事典でも可)でございます。
 また買い取り業者のご案内・ご紹介等も、一切行なっておりません。

「平凡社 世界大百科事典」とウィキペディアとの違い
  「平凡社 世界大百科事典」は、第一級の専門家が責任をもって執筆した現代日本最高の知の宝庫として、高い信頼性があります。日本を代表する各分野7,000名の執筆陣加藤周一氏を編集長に、他では例を見ない7,000名もの執筆陣。知識をより深く掘り下げ、統合する編集力が違います。
全て署名入り原稿で、各分野の頭脳を執筆陣に迎えた大百科事典です。
インターネットなどで情報が氾濫していますが信頼できるのは、やはりこの百科事典です。
つまり簡潔に言えば、内容の「信頼度」が大きな違いだと言えます。
「平凡社 百科事典」は、その情報の信頼度から、新聞社・マスコミ・公共図書館・教育機関・官公庁等で、ご購入されております。
※内容は全て責任監修の為、学生の卒論等の「引用」としても、ご使用できます。

電子辞書版「世界大百科事典」と書籍「平凡社 改訂新版 世界大百科事典」の違い
ご使用になる目的が大きく違います。
書籍「平凡社 改訂新版 世界大百科事典」は、本格的にじっくりと調べることができます。
電子辞書版「世界大百科事典」には、カラー図版がありません。(モノクロしかありません。)
著作権が難しいものは、外してあります。
書籍「平凡社 改訂新版 世界大百科事典」は、図版カラー約 8,500点、モノクロ約1万点です。
書籍「平凡社 百科事典」は、最強の百科事典です。
・この件のさらに詳しいご質問は、下記までお願いいたします。
株式会社 平凡社
〒101-0051 東京都千代田区神田神保町3−29
TEL 03−3230−6572 平凡社営業部(平日のみ)

創業100周年を迎えて
1914年(大正3年)6月、下中弥三郎(1878‐1961)により創業された平凡社は、2014年、100周年を迎えました。
平凡社は下中弥三郎(1878-1961)により、1914年(大正3年)に創業されました。兵庫県の丹波に生まれ、家が貧しく学校に行けないかわりに百科全書で勉強をした弥三郎の、最初の出版物は自著『や、此は便利だ』という小さな現代用語事典でした。専門知識をふまえて、あくまで皆にわかる「知恵」となる知識を重んじた弥三郎は、「万人に教育を」という願いのもと、1931年には『大百科事典』を刊行。のちに人間文化全般に関わる幅広い分野へと、出版の幅は広がっていきました。
古今東西の事象を文化的・歴史的に横断し、関連づけて解説する「百科事典的好奇心」は、今なお平凡社の基盤です。一過性の情報ではなく、物事そのものの成り立ちをひもときつつ、「なぜ?」という問いに答える出版の理念を、今も大切にしています。また、1963年に創刊された日本初の本格的グラフィック誌『太陽』(2000年休刊)をはじめ『別冊太陽』『コロナ・ブックス』では、写真とデザインを重視したグラフィック表現によって、生活文化を豊かにする編集を目指しています。
平凡社の出版におけるひとつの軸に「アジア」というキーワードがあります。創業者は世界の、とりわけアジアのさまざまな文化の相互理解と発展に貢献したいという志を持っていました。2代目社長の下中邦彦は、その志を継いで、中国・韓国・日本などの東アジアから、南アジア・イスラム圏にいたる東洋の文化を紹介する叢書『東洋文庫』を1963年に創刊しました。現在では『東洋文庫』『平凡社選書』『平凡社ライブラリー』『平凡社新書』『別冊太陽』『コロナ・ブックス』などのシリーズのほか、事典・図鑑および人文・社会科学、生活文化、文芸、美術・デザインなど多岐にわたるジャンルの単行本を刊行しています。
書籍は、広く深く考えるために最適の道具です。平凡社は100年の積み重ねを生かして、温故知新の編集力で、「役立つ教養」「わかるよろこび」を出版を通して伝えていきたいと考えています。過去の蓄積にもとづきながら、現代を映し出し、やがて未来への力となる、一冊の本。名前は平凡でも作るものは非凡――私たちは、そのような出版活動をこれからも続けていきたいと願っています。
2014年吉日 平凡社

平凡社100年の歩み
1914 6月12日、下中弥三郎が自著の小事典『や、此は便利だ』の販売のため、平凡社を創立。弥三郎の回想によると、社名は「考えあぐねているようすを、そばで見ていた妻みどりが、『平凡社はどう』という。なるほど、それがよい、ときまった」
1923 株式会社に改組。
1927 『現代大衆文学全集』全60巻刊行(1932年完結)。円本時代を築く。『世界美術全集』全36巻刊行(1930年完結)。
1928 『平凡』創刊。
1931 『大百科事典』全28巻刊行(1935年完結)。名実ともに「事典の平凡社」となる。
1946 第二次世界大戦中の休業状態から再出発。『大百科事典』復刻、『社会科事典』『家庭科事典』『世界美術全集』『世界歴史事典』『児童百科事典』『哲学事典』などを刊行。
1955 『世界大百科事典』全32巻刊行(1959年完結)。
1961 『国民百科事典』全7巻刊行(1962年完結)。空前の百科事典ブーム。
1963 日本初の本格的グラフィック月刊誌『太陽』創刊。『東洋文庫』創刊。
1967 『中国古典文学大系』全60巻刊行(1975年完結)。
1971 『平凡社選書』創刊。『南方熊楠全集』全12巻刊行(1955年完結)。
1972 『別冊太陽』創刊。ムックの先駆けとなる。
1973 『アニマ』創刊。
1975 『古事記注釈』全4巻刊行(1989年完結)。
1977 『伝真言院両界曼荼羅』刊行。
1979 『日本歴史地名大系』全50巻刊行(2005年完結)。
1980 『中国の歴史』全15巻刊行(1983年完結)。『中国石窟』シリーズ全17巻刊行(1990年完結)。
1981 『日本の野生植物』全7巻刊行(2001年完結)。
1983 『FREE』創刊。
1984 新版『大百科事典』全18巻刊行。『QA』創刊。
1986 『動物大百科』全22巻刊行(1993年完結)。
1987 『世界大博物図鑑』全7巻刊行(1994年完結)。
1988 『世界大百科事典』全35巻刊行。『西洋思想大事典』全5巻刊行。
1992 『日本史大事典』全8巻刊行(1994年完結)。『中世思想原典集成』全21巻刊行(2002年完結)。CD-ROM版『世界大百科事典』刊行。
1993 『平凡社ライブラリー』創刊。
1994 『コロナ・ブックス』創刊。
1996 『荒木経惟写真全集』全20巻刊行(1997年完結)。『日本動物大百科』全11巻刊行(1998年完結)。『字通』刊行。
1997 CD-ROM版『マルチメディア・マイペディア』発売(日立デジタル平凡社)。
1998 CD-ROM版『世界大百科事典 プロフェッショナル版』発売(日立デジタル平凡社)。
1999 『平凡社新書』創刊。『白川静著作集』全12巻刊行(2000年完結)。
2002 『白川静著作集 別巻』全21巻刊行開始。
2003 オンデマンド印刷による『ワイド版 東洋文庫』刊行開始。
2005 『SWAN MAGAZINE』創刊。
2007 改訂新版『世界大百科事典』全34巻刊行。
2011 『こころ』創刊。
2013 『新訳 ビーグル号航海記』全2巻刊行。
2014 創業100周年。



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今回の改訂内容
平凡社改訂新版『世界大百科事典』は、1988年以来20年ぶりの大規模改訂です。第一級の専門家による信頼できる知の宝庫です。
●平成の大合併を経て、大きく変わった日本の実情にあわせて、1万項目を改訂。世界の国、県・市町村項目をはじめ、省庁、主要な企業など記述は面目を一新しました。
 〈イラク戦争〉〈国連環境計画〉〈自由貿易協定〉〈金融持株会社〉などの新項目も追加。
●初版以来の変化を収録した補遺巻「アルマナック」の内容を見直して「本巻」と「便覧」に収録。
 本巻と便覧はあわせて300頁以上のうえ、読みやすくなりました。
●CTP(Computer to Plate)製版を採用し、文字と図版の見やすく美しい仕上がりを実現しました。
●百科事典の生命は〈索引〉。改訂要素をすべて盛り込んだ42万項目の「調べ学習」の手がかりです。

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改訂新版 平凡社
世界大百科事典 全34巻

 日本で唯一最大の総合百科事典の改訂新版
○改訂の概要
 ・過去の年鑑(約15年分)の中から百科項目を本巻に
 ・日本の行政地名(平成の大合併)に伴う項目の変更
 ・行政改革に伴う省庁再編や法人化等の変更追加
 ・会社法などの追加
 ・外国項目を最新のものに(国・都市・人口データなど)
 ・百科便覧(データ、資料など)の増強
 ・新項目の追加 アメリカ同時多発テロ・イラク戦争・国連環境計画・子どもの権利条約・国際油濁補償基金・北米自由貿易協定・金融持ち株社・金融派生商品・ユーロ、ヨーロッパ連合・新潟県中部地震などなど

Cパターン
平凡社では約20年の間、新たに発見されたものや、新たに発生した事柄
などを別巻の百科便覧に掲載してまいりましたが、このたびの改訂新版はそれらの巻から百科相当項目をすべて本文に取り込みました。
過去の20年間は、私どもの生活環境は著しく変化いたしました。世界中も同様にこの20年間は激動の時代だったと言えます。
この間の出来事や事柄を、改訂新版に百科項目として掲載した数は相当数にのぼりました。
その概要は、
1.平成の大合併による約2000の市町村を変更(旧○○市・旧○○町というふうに)掲載
2.行政改革にともなう省庁再編・特殊法人・公団・公庫の統廃合・独立行政法人など約150箇所以上
3.企業合併・外国企業・国際機関などで約500箇所以上
4.そのほか本文中の訂正は数知れず
5.外国地名・国、地域名の変更・新国家など、併せて国・首都・主要都市の人口を最新値に変更
6.索引は全面改訂
7.物故者などを本文繰り入れ

その概略を記しましたが、同じように世界地図・日本地図も同様に修正しています。
ご承知のように百科事典の改訂は、すべての事柄に影響します。
この度は、気の遠くなる時間と、難しい編集作業、多額の費用をかけて9月に出来上がる予定でいます。
百科事典の平凡社とそて90年、各界一流の7000名に及ぶ責任執筆と、多くのお客様に支えられて参りました。
日本で唯一最大の総合百科事典・平凡社「世界大百科事典34巻」への買い替えをお薦めいたします。

Dパターン
「改訂新版 世界大百科事典」 改訂の概要
 1、日本の行政地名(平成の大合併)に伴い、全市町村の人口を最新の国勢調査に変更。
  市町村が3300から1820に減少。
  合併にかかわった全市町村約2000(新市町村を含む)を変更、合体。
  本文中の地名項目も多く変更・・・・都道府県、佐渡、隠岐、対馬などの項目。
  (○○市、旧○○町の・・・・というふうに)
 2、行政改革にともなう変更
  省庁再編、特殊法人・公社・公団・公庫の統廃合、
  大学・博物館・美術館・研究所などの独立行政法人化>>本項目のほか文中変更を加え100以上。
 3、企業(日本企業200、外国企業250)国際機関50の追加、及び変更
 4、99年以降の欄外補注、物故者などを本文繰入
 5、その他、本文中の訂正、修正>>>気がつくかぎり、数知れず
 6、外国地名、国、首都、主要都市の人口を最新値に変更
  変化の多かった国、地域>>>旧ソ連、東欧、バルト三国、ユーゴスラビア(6カ国)、チェコスロバキア(2カ国)など、新国家>>>東チモール
 7、アルマナックから主要な百科相当項目を本巻に組み込んだ。
 8、百科便覧に最新世界現勢、日本現勢、年表等を収載による増ページ
 9、巻割り(背引き文字)は変更せずに、各巻一折以下で増ページ。
10、索引は全面改訂。(全項目逆引きを実施)
11、主な新項目
  ○アメリカ同時多発テロ事件 ○イラク戦争 ○会社法、金融派生商品、金融持ち株会社、国際油濁補償基金、国連環境開発会議、国連環境計画、子どもの権利条約、山内丸山遺跡、山陽自動車道、○JR(6社)、従軍慰安婦、証券取引等監視委員会、地雷(対人地雷禁止条約を追加)、長野新幹線、 ○新潟県中部地震、阪神淡路大震災、ヒスパニック(ラティノも)、北米自由貿易協定、吉野ヶ里遺跡、 ○ユーロ、ヨーロッパ連合(ECは別途大項目あり)湾岸戦争などなど。
  ◎ほかにアイヌ関係のクナシリ、メナシの戦い、人類館事件、和人地など
12、項目名変更 婦人→女性(「女性運動」など)、癩→ハンセン病、ブッシュマン→サン、ホッテントット→コイコイン、など

日本を代表する7,000名の専門家による記名執筆
唯一、信頼できる総合大百科。

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だからこそ、確かな知識が必要です!

主な改訂の概要:
アメリカ同時多発テロ事件・湾岸戦争・従軍慰安婦・ユーロ、ヨーロッパ連合・対人地雷禁止条約・ 平成の市町村大合併・行政改革(省庁再編・特殊法人、公社、公団、公庫の統廃合)・ 阪神淡路大震災、新潟県中部地震・アイヌ関連項目の変更・証券取引等監視委員会・ 北米自由貿易協定・国際機関や日本、外国企業の追加や変更・吉野ヶ里遺跡・ 最新の世界情勢、日本現勢・など、他多数

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百科便覧 五訂版


※販売価格は税込価格です。


※「平凡社 改訂新版 世界大百科事典」のセット購入には、「百科便覧 五訂版」が付きます。

★「百科事典」「大百科事典」「世界大百科事典」呼び名はいろいろありますが、「平凡社の百科」といえば、「平凡社 改訂新版 世界大百科事典」です。
「平凡社 改訂新版 世界大百科事典」とご用命ください。


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平凡社    heibonsha.co.jp
平凡の友社 heibonnotomo.co.jp
平凡の友  heibonnotomo.jp

「平凡の友」「平凡の友社」におまかせください。
サイト「学校教材の友」・サイト「図書館の友」
サイト「平凡社改訂新版世界大百科事典の友」
も、どうぞよろしくお願いします。


サイトのご紹介

学校教材の友
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がっこうきょうざい・の・とも
gakkou kyouzai no tomo
学校教材のCD・DVD・書籍のご紹介サイトです。


図書館の友
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としょかん・の・とも
toshokan no tomo
図書館関連の視聴覚教材等のご紹介サイトです。


世界大百科の友
せかい・だい・ひゃっか・の・とも
sekaidaihyakka no tomo
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「改訂新版 世界大百科事典」関連商品のご紹介サイトです。


平凡社改訂新版世界大百科事典の友
http://heibonshakaiteishinpansekaidaihyakkajitennotomo.com/
へいぼんしゃ・かいていしんぱん・せかいだいひゃくかじてん・の・とも
heibonsha kaiteishinpan sekaidaihyakkajiten no tomo
平凡社改訂新版世界大百科事典のご紹介サイトです。


百科事典の世界
ひゃっか・じてん・の・せかい
hyakkajiten no sekai
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百科事典関連商品のご紹介サイトです。


改訂新版の世界
かいていしんぱん・の・せかい
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「改訂新版 世界大百科事典」関連商品のご紹介サイトです。


白川静文字講話
http://shirakawashizukamojikouwa.com
しらかわしずか・もじこうわ
shirakawashizuka・mojikouwa
「DVD 白川静 文字講話 DVD完全収録版」のご紹介サイトです。


匠の世界
http://takumi-nosekai.com
たくみ・の・せかい
takumi no sekai
DVD「匠の世界」関連商品のご紹介サイトです。


昭和・歌謡曲の世界
http://showakayoukyoku.com
しょうわ・かようきょく・の・せかい
shouwakayoukyoku no sekai
昭和・歌謡曲関連商品の紹介サイトです。
懐かしい昭和歌謡曲を中心に集めてみました。


美術館の世界
http://bijutsukan.org/
びじゅつかん・の・せかい
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「DVD世界の美術館」を中心に紹介しているサイトです。


朗読の友
http://roudokunotomo.com
ろうどく・の・とも
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落語の友
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講演会の友
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講演関連CD・DVD・書籍を中心にご紹介しているサイトです。


法話の友
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絵解きの友
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和の世界
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原典 平家物語
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「原典 平家物語」を中心にご紹介しているサイトです。


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医療の友
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回想法の友
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音楽教育の世界
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クラシックの友
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日本伝統芸能の友
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日本民俗音楽の友
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民謡の友
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日本舞踊の友
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唱歌の友
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しょうか・の・とも
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世界民族音楽の世界
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ザ・ワールド・ルーツ・ミュージック・ライブラリーの世界
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ザ・ワールド・ルーツ・ミュージック・ライブラリーを中心に紹介しているサイトです。